The Project Theory Probe Journal

Issue 1
Oct. 31 2023

Project Theory Probe Manifest

人はなぜ、未だ知らないないものについて話し合い、力を合わせてそれに接近することができるのでしょうか。

あらゆる人による創造は、話し、力を合わせる能力なしには、現在とは違う歩みを見せていたでしょう。都市や産業、科学や文化の発展において、協力が不調に終わり、その結果として生まれる数多くの「失敗」が日常であることは否定できません。それでも、人の創造性すべてを偶然で説明することもまた、受け入れ難いとすれば、私たちはここに、何かしらの能力の存在を認めなければならないでしょう。私たちは、その能力がどんな姿をしており、どのように現在の文明をもたらし、未来に向けてどんな可能性をもっているのか、もっと知りたいと思っています。

人を人たらしめ、その営みを形作ったもの。私たちを可能にするもの。それを神の御業と呼んでも、真理と呼んでもよさそうです。私たちは Project Theory と名付けました。未だ知らないないものについて話し合い、力を合わせてそれに接近する能力を、人らしさの根幹に据え、それをプロジェクトという言葉を借りて表現しています。

そして、まだ手に届かないところにある真実を知るために、その能力そのものを駆使しようと決意しました。未知の領域を言語でとらえようとしながらも、一方でそこからこぼれ落ちるものに好奇心を向けることで、自らの理解の範囲を超え続けようとする態度。私たちの呼ぶ Probe は、そのような振る舞いです。それは、知的な実践でもあり認識でもある、プロジェクトの多元的な在りように対応しています。

私たちは、こうした能力や態度を他の動物にはない人らしさと密接に結びつけて考えています。Homo Projecticus (プロジェクトする人) - その名は、自らよりも大きな存在と向き合う意志、そして、自らの内面に無限を写し取ろうとする勇敢さを称えるために、ふさわしいものになるでしょう。

このように Project Theory Probe が自らの存在に目覚め、歩み始めたことを、ここに宣言します。

2023年10月

ぼくプロジェクト
おじさん

八木翔太郎

(1) そのときプロジェクトが動いた

自己組織化するプロジェクトを見たい

八木翔太郎

第1回 「プロジェクトって何だろう」

プロジェクトとは便利な言葉だ。その言葉を使うだけで、いろんなことを含意できるのだから。でも、立ち止まって考えてみたい。プロジェクトって何だろうと。

少なくとも社会的には存在しているはずだ。「あのプロジェクトは…」と言えば周りの人にもそれと伝わる。でも、プロジェクトを肉眼で見て指さすことはできない。なので、「え、どんなやつ?」と聞かれたら、どうしても言語で記述することになるわけだ。「〇〇と取り組んでるやつさ」「△△をしてるやつだよ」などなど。そうすると「そういうやつか」と分かってもらえる。

でも、例えば複雑なプロジェクトであれば、〇〇も△△も全て変わったとして、なお同じプロジェクトであることはあり得るのではないか。だとすると、先ほどの記述は厳密には説明ではない。単なるラベル(名札)に過ぎないということになる。「あれよ」「それそれ」で済ましている。日常的に「プロジェクト」という言葉を使っているからといって、私たちはそれが何のことなのか明確に分かっているとは限らないわけだ。

そんなことはないと、反論されるかもしれない。「このプロジェクトはこの期日にこのゴールを達成するものだ」と説明できるじゃないかと。なるほど、確かにすべてのプロジェクトをこの形で表現することができそうだ。ただ、これはプロジェクト自体の説明なのか、それともプロジェクトをこのように管理(マネジメント)していきたいという意志表明なのだろうか。立ち止まってみれば「この期日にこのゴール」という説明が、すでに特定のマネジメントの思想に引きずられてしまっていることに気付くだろう。「こう定義できないものはプロジェクトとは呼びません!」と声高に叫ぶことはできるだろうが、そうなると日常的にラベルとして使ってる「プロジェクト」という言葉とその指示対象からはどんどんズレていく。

はて困った。私たちはプロジェクトとプロジェクト「マネジメント」を切り離せて考えられないのだろうか。このままだと、マネジメントの思想が変わればプロジェクトの定義も変わるというループから抜け出せない。「プロジェクト」という名のもとで全く違う対象について語ることになるわけだ。なるほど、プロマネの議論がまるで宗教論争のようになるのもうなずける気がする。

かくして、私たちは「プロジェクトって何だろう」という単純な問いにさえ答えられないことに気付かされる。そして上述のとおり、それに答えるためには、プロマネの用語や概念を脇に置かなくてはならない。となると、この問いはもう少し具体的にできそうだ。「果たして私たちはマネジメントの眼鏡をかけずにプロジェクトを見ることはできるのだろうか」と。

昨年『Homo Projecticus』と題された論文が International Journal of Project Management で発表された。タイトルを邦訳すれば「プロジェクトをする人」となるだろうか。プロジェクトを人間の在り方と密接なモノとして根源的に捉え直そうという試みが行われている。なぜ、人はプロジェクトを扱えるのだろうか。この人間の能力を正当に評価することで、初めて適切なメソッドが考えられて、複雑なプロジェクトも回せられるようになるのではないか。あるいは、人間らしい創造性や自律性を発揮して楽しく仕事ができるようになるのではないかー。ここに、改めて「プロジェクトとは何か」を問う意義があるように思われる。

この連載企画を「自己組織化するプロジェクトを見たい」と題したのは、そういう想いからだ。プロジェクトは確かに在る(と感じられる)が、私たちはそれが何なのか説明することができない。それを説明する手立てを求めて、毎月のペースにはなるが、少しずつ先人達の足取りを辿ってみよう。

このごろの Project Sprint

賀川こころ

プロジェクトは活動のフラクタル構造でできている

Project Sprint は、定例会議を活用したプロジェクト推進のためのフレームワークです。このコーナーでは、実践知を取り込んで進化しつづける Project Sprint の構築現場でたった今議論されている、ホットなトピックをご紹介します。第1回は、「活動」を取り上げます。

Project Sprint では、プロジェクトにおいて行われる人間の行動を、「活動」と総称しています。「活動」を定義するならば、「チームや個人が、意思や目的をもって、なにごとかをある状態から別の状態に変化させるために、なんらかの出力を伴う身体的な行動をすること」と言えるでしょう。分かりやすいところで言えば、プロジェクトの推進や改善のために設定されるタスクや、タスクの完了のために実行されるアクションが活動です。また、チームで問題の共同解決やアイデアの共創を行う会議も、会議に持ち込まれ議論される個々のアジェンダも、活動と言えます。

もう少し視野を広げると、Project Sprint では、プロジェクト内の各到達地点を目的・価値・成果・成果物・あるべき姿といった8つのシンプルな要素をもつフラッグで表現し、プロジェクトの最終目的達成までの過程をこのフラッグを時系列で集積させたロードマップとして描くことを推奨していますが、これらのフラッグやロードマップも、活動の定義に当てはまります。さらにはプロジェクト自体がひとつの活動と言え、個人の活動、チームでの活動、そしてプロジェクトそのものまでを、共通の要素をもつフラクタル構造として捉えることができます。

このように、プロジェクトにおける人間のさまざまな行動を、「活動」としてフラクタルに捉えることで、複雑になりがちなプロジェクトを適切な粒度で表現し、プロジェクトや組織の規模に関わらず、チームで意思や目的を共有することができると考えています。

今月の一冊:ベイトソン『精神と自然』

八木翔太郎

サイバネティクス理論を心理学と進化生物学に持ち込んだベイトソン。サイバネティクスの創始者といえばノーバート・ウィーナーだが、彼が情報を準物理的な概念としたのに対して、ベイトソンは情報を意味形成の過程と結び付けて考えた。「やわらかい」サイバネティクスとも呼ばれるベイトソンの理論では、精神があらゆる現象と地続きで語られていて、私はこの本を読み進めるうちに色んな境界が溶けていく感覚を味わった。一方で、どのように境目を考えるべきかを型 (タイプ) 理論などに基づいて説明してくれているのである。この本は分かり易く書かれているものの、1ページの重みが凄すぎて、1ページ読んでは自分の考えを再整理するということを幾度も繰り返させられたことを覚えている。図書館で借りたのを後悔するくらいだった (実際2度くらい貸出延長をした覚えがある) 。表紙に描かれた赤ちゃんの視線から目が離せなくなるのと同じように、読み進めながらも不思議なトランス状態を味わう、そんな本である。

さて、先の「階型 (タイプ) 理論」はもとはヴィトゲンシュタインの師匠、ラッセルが考え出した理論である。「クレタ人は嘘つきだとクレタ人が言った」に代表される自己言及のパラドクスを解消するものとして、ラッセルはロジックには階層がある(e.g. 自分自身を含んでいる記述は異なる論理階型に属する)と提唱したのだったが、ベイトソンはそれをロジックに留まらず生物・精神現象に当てはめてみせた。例えば、人の遺伝子や訓練によって適温の幅が決まり、それによって暑すぎる・寒すぎるというバイアスが決まり、それによりエアコン操作により室内温度が均衡することになる。ここでは、個人特性、バイアス、室内温度、それぞれが異なる階型を成している一方で、フィードバックも与えている。言われれば当たり前のようだが、たかが室温にいかに様々なシステムが関与していることか。あるいはどこからどこまでが室温のシステムなのかー。

この話を心的現象に当てはめたらどうだろう。どこからどこまでが自分の精神なのだろうか。ベイトソンはこの着眼から、家族療法という精神疾患を関係性の網の目で理解して介入していく心理療法に大きな影響を与えている。精神が個人に留まらず他者とのコミュニケーションと地続きならば、精神疾患もコミュニケーションの構造で説明できるのではないか。実際、彼はダブルバインドと呼ばれる2つの異なる階型 (タイプ) で相矛盾するメッセージを伝えてしまうようなコミュニケーションが統合失調症を生み出すことを示したのである。

プロジェクトで鬱になる人が出るようなケースでは大抵の場合、このような状況に陥っている。私自身も、なぜか気が滅入るときに、ダブルバインド状態に陥っていることに気付く、という経験をした。このとき必ずしも誰かがダブルバインドを生み出しているわけではなく、狭間の活動であるプロジェクトだからこそ担当者が矛盾した構造に置かれていることが多い。ただし、家族と違って組み替えやすいのが幸いである。何よりも、気付くことが楽にしてくれる。プロジェクトの講座で、もの凄い共感を得た回が、まさにダブルバインドの見分け方だった。それに気付く手立てを与えてくれたのがベイトソンの理論なのである。

他にも、ベイトソンが提供してくれる示唆は様々あり、これを階型理論を学習に適応した学習階型、アブダクションの解釈、精神の発達プロセスとチーム発達の関係性などなど、ここで要約ですら紹介しきれないほどだ。彼の、社会も生物も分け隔てなく「生きた世界」として説明する語り口は、プロジェクトをはじめとした人々の実践を広く柔軟に捉え直させてくれる。この本を読んだのは3年前なので子細はうろ覚えだが、衝撃的だったことはよく覚えている。

最速伝説

八木翔太郎 Credit: NASA/Johns Hopkins APL/Steve Gribben

NASA の探査機である Parker Solar Probe が9月27日に人類史上最速記録を更新した。Parker Solar Probe は太陽のコロナ(太陽大気の一番外側の層)を理解するための7年間のミッションのため2018年8月に打ち上げられたもので、このとき太陽表面からわずか451万マイル (約726万km) 以内にも接近している。

さらっと報じられているが、この人類最速物体のミッションが別に飛行速度ではないのは注目に値する。可能な限り太陽に接近せんとしたところ、金星接近フライバイによる重力補助の結果として、速度が時速394,736マイル (時速635,266km) に達したのである。その速度でも通信が出来ていて、全てが正常に作動している (all systems operating normally) というのだから、開発段階から設計に織り込み済みなのだろう。開発者はこの探査機が灼熱に耐えるだけでなく、最速記録を更新し続けるものだと理解していたに違いない。

NASA によると、コロナを熱がどのように移動するのか、太陽表面のプラズマや磁場がどのように変化するのか、そしてそれが太陽風などの現象にどのような力を与えるのかを理解することは、科学者が宇宙気象をよりよく予測するのに役立つという。そのために探査機を太陽表面に送り込もうという発想と実行力に脱帽である。

この探査機は、太陽を回る最後の旅でさらに速い速度に達する可能性が高いとのこと。記録は更に破られていくことが予想されている。人類史上最速の物体としての評価を確固たるものにするだろう。

ハッカー文化の伝道師 1 山形浩生

菊地玄摩

どちらかというと煙たがられ、恐れられ、神聖視され…世間を賑わせたことはあれど、教科書に載せて推奨するには至らない程度に敬遠されてきたのが、ハッカーの話である。しかしアジャイルやスクラムをソフトウェア開発以外の活動にも応用しようというアイディアは、すっかりポピュラーになった。その起源には、プログラマー達がその活動のために生み出した独自のマナーがある。ここではそれをハッカー文化と呼び、その価値を伝える言葉巧みな語り手たちに触れていこう。

翻訳家として知られる山形浩生。自身のウェブサイトでは膨大なハッカー文化に関連する資料を公開しており、その中にはハロウィーン文書の日本語版がある。ハロウィーン文書は、90年代にエリック・レイモンドによってリークさたマイクロソフト社の社内文書で、オープンソース勢力とプロプライエタリ勢力が葛藤するソフトウェアの世界を理解するための、重要な資料である。通史は『インターネット・ヒストリー』 (オライリー・ジャパン) などの書籍で読めるが、そこに登場するメールや議事録の翻訳はなかなかない。

原文を掲載するエリック・レイモンドのサイトを訪れてもらえば、山形のウェブサイトと類似点があることに気づくだろう。エリック・レイモンドはハッカー文化のスポークスマン役を引き受けた人であり、オープンソースという言葉を発明した人でもある。ウェブサイトひとつとっても、その文化にふさわしい所作に満ちている。ウェブサイトに置かれた山形の一連の翻訳は、内容だけでなくそのハッカー由来の佇まいによって、日本語世界からハッカー文化へ通じるワームホールとして存在している。

PTP Meetup!のお知らせ

Project Theory Probe は、PTP Meetup! を3ヶ月に1回のペースで開催する予定です。Project Theory Probe の活動に関心のある方どなたでも参加いただける、ささやかな会合です。初回は12月7日(木)夜、渋谷、青山周辺の会場で開催予定です。詳細は追ってウェブサイト、Newsletter、Journal に掲載します。

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ウェブサイト

毎月の Journal は Project Theory Probe のウェブサイトにアーカイブされます。Project Theory Probe の活動場所である GitHub や Digital Garden へのリンクなども提供しています。

ptp.voyage

発刊に寄せて

菊地玄摩

Project Theory Probe が始まりました。Issue 1、お楽しみいただけたでしょうか。

Project Theory Probe には、前身とする活動 Project Sprint Quest がありました。Project Sprint Quest はさらにその前身、コパイロツトユニバの両社の研究活動から発しています。コパイロツトはあらゆるプロジェクトを支援する企業で、ユニバはさまざまな制作を請け負うプロダクションです。日々新しいプロジェクトに取り組むことを生業としているこの2社が、よりよく目の前の仕事を進めるにはどうすればよいか、切実な状況で考え始めたことが、この取り組みの原点にあります。
すべてのプロジェクトは希望をもって始まっていると思います。当事者誰もが成功を望んでいるでしょう。しかし実際には、不本意な結末を迎えることも少なくありません。その景色を前にしたときに感じられる、もっとできることがあるだろう、まだやるべきことがあるだろう、という想いが、私たちを駆動しています。

これから、まだ見ぬ可能性への探査の旅が始まります。実践と思考を駆使して、できる限り面白そうな、遠い領域まで行ってみたいと思います。そしてその成果をもって、私たちの現実に戻ってきましょう。私たちはその往復を、考えられる限り大きなスケールのメタ・プロジェクトとして、提案したいと思っています。