前号では、異種のモノたちが関係性を取り結ぶ「もつれるプロジェクト」の原理を求めて、有機体の性質から生命現象の大元を探ったグッドウィンの議論を確認した。有機体をはじめとした秩序が反応に富んだ臨界状態にあるのは、量子の性質にまで遡れそうという彼の結論をもう少し深掘りしてみよう。フェミニスト理論家でありながら物理学者でもあるカレン・バラッドは、物理学の基礎である量子力学と整合性のある形で世界を捉え直そうとしている。
バラッドがその思想のインスピレーションとしている「量子もつれ (Quantumn Entanglement) 」が、この連載 (Involuting) と同じ「もつれる」という訳語になるのには、深い縁を感じずにはいられない。多種多様なモノが関わり合いながら発達して「もつれる (Involuting) 」のは、すでにあらゆる存在が「もつれ (Engangled) 」ているから、ということになろうか。彼女によれば、一見して異なる物事も実は密接な繋がりを持っており、しかも、それは物理/物質的なのである。
「二重スリット実験」は光子が波と粒子という相矛盾する性質を同時に併せ持つということを端的に示したのみならず、「観察」という行為が過去の現実 (光子の性質) に影響を与えることを伝えている。これは、バラッドによれば量子世界の話だけではなく、われわれの生きる現実世界のあり方 (実在論) としても考えることができる。
バラッドは「モノ」に代わって、量子論の育ての父であるニールス・ボーアの「現象」という概念を引用しながら、これを現実の基本単位とした。「現象」そのものにおいては主体と客体のみならず、時間や空間も未分化である。ここに観察 (彼女はこれを一般化して「エージェンシー切断 (agencial-cut) 」と呼んでいる) が入ることによって、はじめてモノひいては時間や空間が生じるのである。現象において、互いに「もつれ」合う動的な作用 (intra-action) によってモノが生じるのであり、その逆ではなない。このようにバラッドの主体実在論 (agencial realism) は、モノや人といった存在を単位としたやりとり (inter-action) を前提とする一般的な見方からは一線を画していると言えるだろう。
さて、われわれが本連載で考察を深めているシンポイエーシスとは異なるモノが関係を取り結びながら発達するさまであった。ここでバラッドの思想は「異なる」ということに対して新たな観点を与えている点は見逃せない。「差異 (difference) 」は内部作用 (intra-action) によって生じるエージェンシー切断の結果であるが、これは断絶ではない。むしろ共に成し遂げられた分断 (cutting together apart) なのであり、その本質は「切り離せなさ」にあるという。世界は分断されているのではなく、はじめから終わりまで繋がっているのである。
観察が世界を立ち現せるという発想はオートポイエーシスの自己言及 (self-reference/reflection) の機制に一見近しい。しかし、バラッドがそれに代わってダナ・ハラウェイやトリン・T・ミンハを引用しつつ提唱しているのが回折 (diffraction) である。「同じさ」を基礎にする反省 (reflection) とは対照的に、回折 (diffraction) は二重スリット実験で光子が壁の後ろに回り込み (=回折) ながら広がったように「差異」を増幅させて干渉し合いながら帰結を生み出している。回折では非常に細かな事柄が大きな意味を持ってくる。観測装置の微細な違いが光子の振る舞いを変えてしまったように、われわれの実践や観点の小さな違いが大きな影響を持ちうるのである。
彼女は本書で「宇宙に歩み寄る (meeting the universe halfway) 」つまり立ち起こりつつある世界の可能性に反応して参画することを求めながら文章を終えている。「今月の概念」でも触れた通り、この「反応」はときに数十億マイル先の壊れた年代物の探査機の状況の把握を助けてくれるような、実にパワフルな実践なのだ。
さて、「プロジェクト」をシンポイエーシス的に捉える試みは量子まで来てしまった。次回は早いもので第6回と折り返しである。ここまでの歩みを回折 (ふりかえりではなく) してみたい。