The Project Theory Probe Journal

Issue 25
Feb. 28 2026

「知能としてのプロジェクト」を見い出したい

八木翔太郎

第1回 「何が」学習しているのだろうか

プロジェクトチームは学習する。だからこそスタートアップは失敗しても加速し続けられる。不確実な状況ではなおさら、この学習は重要になってくる。

でも「学ぶ」といったときに「何が」学んでいるのだろうか。そしてその「何か」は意図的に学んでいるのだろうか。よく立ち止まって考えてみる必要がある。果たして、プロジェクトメンバーが学んでいるのだろうか。そして、それが可能なのは人間が意識があるからだろうか。

そうとも限らない、と言える時代が来た気がする。AIが学習するといったときには、AIが意識があることを含意している人はいないだろう。でも、前後を比べると「学習した」と言いたくなるような出来事が生じているのである。

特に、不確実なプロジェクトで生じる学習は、学ぶ前にその学ぶ内容がわからない、そんな学びだ。でも学習した時には、確実にその前後でよりよく適応できている。

そう考えると、まるで知能や学習とはブラックボックスのようだ。私たちは内部で何が起きているかではなく、振る舞いの変化によって学習を判断している。実際、コンピューターの生みの親であるアラン=チューリングが提案したチューリングテストも、機械が知能を持つかどうかを直接定義するのではなく、人間らしく振る舞えるかどうかという振る舞いの観点から判断する試みだった。今やAIが人間のように会話する姿を見て、そこに知能を感じる人も少なくないだろう。

しかし、人間やAI以外にも自然界には知性があるとしか言いようがない現象が多く存在する。バクテリア、群れ、粘菌。これらは一般に意識があるとは考えにくいものだが、それでも時に驚くべき知性を発揮する。例えば有名なのが、粘菌(スライムモールド)が迷路を解く実験だ。研究者が迷路の入口と出口に餌を置くと、粘菌は最初は迷路全体に広がるように伸びていくが、やがて不要な経路を自ら縮退させ、餌を結ぶ最短経路だけを残す。脳も神経もない単細胞の生物が、環境との関係のなかで計算のような振る舞いを示す。彼らは必ずしも個体ではそのような知性を観察できないため、「集団知性(collective intelligence)」と呼ばれることもある。

さて、プロジェクトはこの「集団知性」の1つであると考えることはできないか。それは言い換えれば個々のメンバーの知性を超えて、集団として創発的に知性を発揮していると言えないか。こう問うことになるだろう。

バクテリアが集団で何をしているのか自身で意識できないように、プロジェクトメンバーもどのように集団知性を発揮しているのか把握できているとは限らない。だからこそ、この領域がどのように研究されているのかを深掘りしながら、次号から歩みを進めてみたい。

ぼくプロジェクト
おじさん

八木翔太郎

(25) ゴールと手段

The Rhythm of Intimacy

Kitty Gia Ngân

Wait, what does intimacy have to do with project?

In a now-famous experiment, Arthur Aron and his colleagues designed a set of behavioral procedures to generate closeness between strangers:

  1. The researchers put 2 strangers together.
  2. In 45 minutes, the pair answers 36 questions that progressively increase in vulnerability.
  3. At the end, they gaze into each other’s eyes for 4 minutes.
  4. They then separate and privately report how they feel.

Just as expected, this procedure helped most participants feel closer. One pair even began dating and later married. The New York Times popularised the study under the headline The 36 Questions That Lead to Love, giving my teenage self plenty of opportunity to rehearse ‘falling in love’.

It took me more than a decade to realise that I (and everyone) seemed to miss the point: What gets left out of this story was equally — if not more — revealing when it comes to intimacy.

In the experiment, participants were college students from 3 psychology classes in New York. They were informed 2 weeks in advance about the opportunity. If they participated, they’d complete a questionnaire to help researchers best match-make them with someone compatible.

As a college student, this is what you’d likely hear: Hey, you get to skip class to go on a blind date designed by experts — “to help you get close” — with someone pre-screened to be compatible. Wanna join?

When compatibility is promised, risk contained, time calibrated, [...] what does it do to you? Does it make you more open? Less cynical? More willing to be affected?

My point is, the way the researchers measured intimacy had helped them produce it: By shaping expectations, risk, rhythm, space and time, they produced the affect of intimacy. The following is a framework I developed to analyze the relational ontology of environments; overlaying this lens onto the experiment reveals what was engineered:

Risk

The experiment promised connection without danger. Disclosure was guided to be reciprocal. The possibility of social embarrassment was low.

Time

2 weeks of anticipation. 45 minutes of dialogue. 4 minutes of eye-contact.

Rhythm

Disclosure was sequenced by a curated rhythm of reciprocity: question and answer in progressing vulnerability, ending with an emphatic, unusually long eye-contact.

Space

A contained lab setting. Two chairs in proximity, far enough from other participants for a ‘deep’ one-on-one conversation.

Noise

Minimal background distractions. No long-term nor external consequences. Little ambiguity about the format.

Expectation

Besides the excitement of blind dating, the experiment was communicated to produce an expectation of connection, safety, perhaps imaginations of sweet friendships.


The truly fascinating point is not which behavioral procedure produces intimacy, but that by engineering rhythm, time, space, noise, risk and expectation, you can engineer intimacy.

Such capacity to cultivate intimacy is attractive to many organizations, but most (business) projects are not controlled laboratories. They extend beyond 45 minutes and contain endless uncontrollable variables. Thus, a project has the potential more like what I will analyze next: a monastery.

Plum Village (PV) — a global network of mindfulness practice centers — is a massive project. Like the laboratory experiment, its goal is to cultivate intimacy. But PV rests on different assumptions about what a person is and what relationships are.

Whereas the lab presumes individuals as autonomous subjects with fixed identities and personalities, thus intimacy occurs when their psychic boundaries are temporarily lowered under safe conditions; PV unsettles that premise. It begins from the view that all things are already entangled. Therefore intimacy is not the lowering of walls, because the walls were never solid to begin with. It subverts a normative take that sees relationships as interpersonal into a transversive, perversive one.

I will dive deeper into PV analysis in future journals. However, what’s worth noting here is that PV can enact a different relationship ontology without relying on conceptual notions and intellectual capacities. It simply redesigns risk, rhythm, space, time, noise and expectation.

What does this have to do with projects?

Every project is engineering the conditions of relationality.

Meeting’s duration time-boxes disclosure, dictating which level of complexity is allowed to verbalized. Performance matrix continually reproduces what it was engineered to measure. Calendar, lingo, technological choices and so on… Everything participates in (or manifests) the shaping of expectation, space, time, risk, noise and rhythm.

But more than that, most of them just reproduce the ontology of autonomous,separated, fixed human selves that engineered them in the first place.

Project design is ontological design, and in the post-Anthropocene, we need a different design.

When I say “intimacy”, I do not mean psychological safety, trust, team chemistry, or vulnerability exercises. Those are interpersonal readings of intimacy, grounded in the idea that humans are autonomous, contained within their own fortress of a body who sometimes connects.

I am pointing toward something infrastructural: the conditions under which certain relationality reorganizes certain reality, which boundaries are enacted, and how systems continually territorialize and deterritorialize.

In future installments, I will elaborate on this notion of intimacy. If understood within relational ontology, intimacy resembles what Rosi Braidotti called “perverse sexuality” — it has the potency to disrupt the status quo.

Just like an improv, it collapses binaries (right/wrong, pure/impure, I/them, past/present/future etc.), which loosens fixed roles, destabilizes assumed boundaries, and allows new unexpected reconfiguration to emerge.

I imagine such a vision is fascinating to our readers.

親密性のリズム

Kitty Gia Ngân, 八木翔太郎(訳)

親密性ってプロジェクトと関係あるの?

いまではよく知られる実験だが、アーサー・アロンらは、赤の他人同士で親密性を生み出す行動ステップを設計した:

  1. 研究者が見知らぬ2人をペアにする。
  2. 45分のあいだに、2人は36の質問に答える。質問は徐々に個人的で、弱み(vulnerability)をさらけ出すものへと進んでいく。
  3. 最後に、2人は4分間お互いの目を見つめ合う。
  4. その後2人は別れ、それぞれが感じたことを個別に報告する。

予想された通り、この手順は多くの参加者に「相手と親しくなった」という感覚をもたらした。実際に、あるペアはその後交際を始め、やがて結婚したという。New York Times はこの研究を恋に落ちる36の質問という見出しで広く紹介し、当時の私(10代)には「恋に落ちる」予行演習をする十分な機会を与えてくれた。

しかし、私(だけでなくほとんどの人)が気づくまでには10年以上かかったのだが、この話で見落とされていた重要な点こそが、この研究結果と同じくらい(あるいはそれ以上に)親密性を理解する上で示唆的であったのだ。

実験の参加者は、ニューヨークの3つの心理学の授業を受講する大学生だった。彼らには2週間前に実験の参加募集が告知されていた。参加する場合はアンケートに回答し、研究者が「相性のよい相手」をできるだけうまくマッチングできるようにする仕組みだったのである。

大学生の立場からしてみれば、こう聞こえたことだろう。「ねえ、授業を抜けて、専門家が設計したブラインドデートに行けるよ?親密になるためのデートで、しかも相性のよさそうな相手を事前に選んでくれるんだって。参加する?」

相性が約束され、リスクが抑えられ、時間が調整されているとき、[...] あなたはどう感じるだろうか。よりオープンになるだろうか。少し冷めた態度は和らぐだろうか。もっと心を動かされやすくなるだろうか。

ここで重要なのは、研究者たちが親密さを測定する方法そのものが、親密さを生み出していたという点である。期待、リスク、リズム、空間、時間を形づくることで、彼らは親密さという感情を作り出したのではないだろうか。以下は、私が環境の関係的存在論を分析するために開発したフレームワークだ。このレンズを「恋に落ちる36の質問」実験に重ね合わせることで、何が設計されていたのかが良くわかる:

リスク

この実験は「危険のないつながり」を約束していた。自己開示は相互的になるようにガイドされ、気まずい思いをする可能性も低かった。

時間

2週間の期待、45分の対話、4分間のアイコンタクト。

リズム

自己開示は、相互性が生まれるように整えられたリズムに沿って進んでいく。質問と応答が交互に重なりながら、次第に弱み(vulnerability)を伴う内容へと深まり、最後には強い、通常よりも長いアイコンタクトで締めくくられた。

空間

実験室という閉じられた環境。2つの椅子は近くに置かれ、しかし他の参加者からは十分離れていて、「深い」1対1の会話ができる配置だった。

ノイズ

背景の気を散らすものは最小限。長期的な影響や帰結もない。進め方についての曖昧さもほとんどない。

期待

ブラインドデートのわくわく感に加え、この実験は、つながりや安全、あるいは甘い友情を想像させるような期待を生む形で提示されていた。


ここで真に注目すべきは、「どの行動ステップが親密性を生み出すか」ではなく、むしろリズム、時間、空間、ノイズ、リスク、期待を設計することで、親密さそのものを設計できるという点ではないだろうか。

このような親密性を育む可能性は、多くの組織にとって魅力的に映るだろう。だが、ほとんどの(ビジネス)プロジェクトは実験室のように管理されてはいない。45分では終わらないし、無数の制御不能な変数が含まれている。むしろプロジェクトは、次に私が分析する「修道院」により似ているかもしれない。

マインドフルネス修行道場のグローバルネットワークであるプラムヴィレッジ(以下、PV)は巨大なプロジェクトである。「恋に落ちる36の質問」実験と同様、その目的は親密性を育むことだ。しかしPVは、人とは何か、そして関係とは何かについて、異なる前提に立っている。

実験室では、個人は固定されたアイデンティティと性格をもつ自律的主体として想定され、したがって親密さは、安全な条件のもとで心理的な境界が一時的に低くなるときに生じると考えられている。だがPVはその前提を揺るがしている。すべてのものはすでに絡み合っているという見方から出発しているのだ。ゆえに親密さとは「壁を下げること」ではない。そもそも壁は最初から固いものではないからだ。むしろ、関係を個人どうしの相互作用として理解する規範的な見方を覆し、関係を横断的で倒錯的なものとして捉え直しているのである。

PVについての分析は、次号以降さらに掘り下げていきたい。だがここで注目したいのは、PVが概念的な理解や知的能力に頼らずに、異なる関係的存在論を実現できている点だ。単純に、リスク、リズム、空間、時間、ノイズ、期待の再設計がなされているのである。

これはプロジェクトとどう関係するのか?

あらゆるプロジェクトは、関係性の条件を設計していると言えるだろう。

スタンドアップミーティングは、自己開示の時間を区切り、どの程度の複雑さが語ってよいのか、何が語られないのかを規定する。KPIは、測定するよう設計されたものを再生産する。プロジェクトスプリント。カレンダー文化。コミュニケーションスタイル。あらゆるものが、期待、空間、時間、リスク、ノイズ、リズムの形成に関与している(あるいは、それを表出させている)。

しかしそれ以上に、そのほとんどは、その構造を生み出した人自身の存在論(自律的で、分離され、固定された人間の自己像)をそのまま再生産しているにすぎない。

プロジェクトデザインとは存在論的デザインである。そして、ポスト・アントロポセンの時代には、私たちには異なるデザインが必要なのだ。

私が「親密性」と言うとき、それは心理的安全性、信頼、チームの相性、弱さ(vulnerability)をさらけ出す実践のことではない。これらは、人間が自律的で、身体という要塞のなかに閉じこもり、ときどきつながる存在だという前提に根ざした、個人どうしの相互作用として親密性を捉えてしまっている。

私が指しているのは、もっと基礎的なものだ。ある関係性がどのような現実を再編成するのか、どんな区別が立ち上がるのか、そしてシステムがどのように領土化と脱領土化を繰り返すのか、といった条件である。

今後の連載では、この「親密性」という概念をさらに深掘っていきたい。もし「親密性」を関係的存在論の文脈で理解するならば、それはロジ・ブライドッティが「倒錯的セクシュアリティ(perverse sexuality)」と呼んだものに似ている。それは既存の秩序を揺るがす力を持っているのである。

インプロのように、親密性は二項対立(正しい/間違い、純粋/不純、私/彼ら、過去/現在/未来など)を崩し、固定された役割を緩め、当然だと思われていた境界を揺さぶり、思いもよらない新しい再構成が立ち上がる余地をつくってくれる。

読者の皆さまにとっても、こうした見方は興味深いのではないだろうか。

流動のなかのプロジェクト

賀川こころ

第1回 地面のない世界で

海には地面がない。少なくとも、わたしたちが日常で思い描くような、硬く、安定し、そこに立てば安心できるような地面は存在しない。あるのは、絶えず動きつづける水の層と、目に見えない潮流、深さによって変わる圧力、そして浮力だけだ。

海は流動している。しかし、流動しているからといって、無秩序であるわけではない。潮の満ち引きがあり、海流がある。そこに暮らす生きものたちの固有の回遊ルートがあり、群れが生まれ、離れ、また出会う。たとえばミナミハンドウイルカは、数時間単位での離合集散を繰り返す。同じ個体が朝と夕方で別の群れにいることもある。性別も年代も横断して共に過ごす相手を変えながら、それでもその海域の社会は保たれている。マッコウクジラの母系ユニットも、個体間の距離を日によって変えつつ、長い時間をかけて関係を編んでいる。水面では緩く散らばっていることが多いが、狩りのために潜水するときには概ねタイミングを合わせて尾びれを高く上げて潜る。そこには、固定されていないからこそ成立する秩序がある。

わたしたちの世界はどうだろうか。組織図があり、役割が定義され、KPIが設定される。計画が引かれ、マイルストーンが置かれ、進捗が管理される。それらは、いわば「地面」をつくる行為だ。立つ場所を定め、足場を固める。計画は安心を与える。先が読めるという感覚は、行為を容易にする。だが、現実の環境はどうか。市場は変動し、技術は更新され、人は入れ替わり、意味さえ揺れ動く。いわゆるVUCAと呼ばれた状況は、もはや例外ではなく前提である。にもかかわらず、わたしたちは計画を「地面」だと考えてはいないだろうか。

探検家の角幡唯介は、著書『地図なき山: 日高山脈49日漂泊行』のなかで、計画に従うことがいつのまにか目的化し、「山ではなく計画に向き合ってしまう」状態を指摘している。綿密な計画は完成度が高いがゆえに、それから外れたときの居心地の悪さを増大させる。結果として、目の前の状況ではなく、計画のほうを優先するようになる。そのとき、人は風景とのあいだに〈距離〉を感じる。この〈距離〉こそが、虚無感の正体なのだと彼は言う。

  • プロジェクトにおいても、同じことは起きていないだろうか。
  • 顧客ではなく仕様に向き合い、現実ではなくWBSに向き合い、世界ではなくKPIに向き合う。
  • 計画は本来、流動する状況に対処するための道具だったはずだ。しかしそれがいつしか地面の代わりになり、そこから外れることを恐れるようになる。

もし地面がないのだとしたら。もしわたしたちの立っている場所が、もともと流動しているのだとしたら。プロジェクトとは何だろうか。それは、地面の上に立って作業を進めることではなく、流動のなかに一時的な秩序を立ち上げる行為ではないか。

クジラやイルカたちの群れは、固定された足場を持たない。それでも方向を共有し、呼吸を合わせ、必要に応じて深く潜る。秩序は、固定によってではなく、関係と同期によって生まれる。プロジェクトもまた、流動のなかで立ち上がり、やがて次の流れへと溶けていく、そうした一時的な群れなのかもしれない。恒常的な組織とは異なり、期間を区切り、目的を掲げ、流動のなかに仮設の秩序をつくる。それは「地面」をつくることではない。むしろ、地面がないことを受け入れたうえで、それでも前に進むための形を編むことだ。

地面のない流動のなかで、それでも群れは生まれ、進み、やがて解ける。そこでは、状況に応じて動きつづけることが前提であり、秩序は固定ではなくその都度立ち上がる。もしそうだとしたら、プロジェクトにおいて本当に問うべきなのは、「どう管理するか」ではなく、「どう共に在るか」なのではないだろうか。

地面のない海で、群れはどのようにして形を得るのか。なぜばらばらにならず、ひとつの方向を持ちうるのか。わたしたちは、その群れをどう編むのか。次回は、そんなことを考えてみたい。

プロジェクトマネージャーに「体」は必要か?

長谷部かな

第1回 現時点では、まだ生身の人間ですよね?

プロジェクトマネージャーに「体」は必要か、と問われると、ちょっと待て、と言いたくなる。

この問い自体が、すでに「体」を外側に置いている。まるで「体」というものが、その人が使うかどうか選ぶことのできる道具のようだ。

考えてみてほしい。

たとえば、あなたは今日ひどい二日酔いだ。体は熱っぽく、頭痛もする。そしてコントロールできないタイミングで、ふいに吐き気がこみ上げる。この状態でいつものようなパフォーマンスが発揮できるだろうか。

たとえば、あなたはインフルエンザで発熱している。体温は39度台。激しい頭痛に寒気、体の節々がジンジンと痛み、布団の中で体を丸めて耐えている。この状態で適切な意思決定ができるだろうか。

いや、できない。

思考は、肉体の影響をうける。

思考>肉体、ではなく、肉体>思考である。

つまり、「体」が、必要か不要かを論じる以前に、我々は「人間という生き物」だ。どんなに理論上では可能でも、一人の人間の当事者としては、今のところは、この宿った肉体の上で思考するしかない生き物なのだ。

しかし、実際に我々がしていることは、「体をコントロールすること」だ。頭が痛ければ頭痛薬を、吐き気がすれば胃薬をのむ。眠気をコーヒーで、疲労を栄養剤で誤魔化そうとする。

でも、体が発しているのは「信号」だ。

痛みは異常を知らせ、吐き気は何かを排除しようとしている。疲労は限界を知らせる。「体」は、いつもあなたを守っている。安全に、健やかに、危険にさらさないように。

それなのに、その「信号」をコントロールすることに慣れすぎて、あまりにも体を無視していないか。

体は、その環境を知るためのセンサーだ。

IoTセンサーをイメージしてみるといい。置かれた場所のリアルタイムデータを感知し続けている。温度や空気のふるえ、”いつも”との違い。チームのそわそわ、心のザワザワ、誰かのモヤモヤーー今いる場所で、それらをリアルタイムで受け取っているのが体だ。


オンラインでの会議。

直前まで別のミーティングで会社のイマイチな方針について、言いたい放題言っていた。それなのに、カレンダーのURLを押して次のミーティングに入った瞬間、体が”ちがうモード”に入る。

  • ミーティングの内容は、レビュー。
  • 画面には、カメラオフの十数名の参加者。
  • 誰も話さないまま開始時間になり、進行係が淡々と話を進めていく。
  • そして、担当者は、今日のレビュー内容を早口で読み上げていく。

なんとなく喉が詰まる感じがして、思わず咳払い。背中のこわばりに気がつき、首をまわし、肩をほぐす。思わず大きなため息が出る。

居心地が悪い。

カメラもマイクもオフ。自分はしゃべってもいないし、レビューする/される側でもない。

なのに、なぜこんなに居心地が悪くなるのか。それは、体がなんらかの信号を受け取っているからだ。

だから、「体が必要か」という問いは、最初から無意味だ。

好むと好まざるとによらず、我々には体がある。そして、体は、今このときも、周りの信号を受け取り、危険をさぐり、安心・安全の確保にエネルギーをかたむけている。会議の空気を、画面の向こうの沈黙を、参加者の小さな変化を。私たちが気づいていても、いなくても、体はずっと働いている。

つまり、プロジェクトマネージャーに「体」が必要なのではなく、あなたには、いつも「体」が共にいる。

今月のビデオゲーム

八木翔太郎

ビデオゲームと存在論

子供の頃はゲームをたくさん遊んだ。小学生だったか幼稚園だったか。貯金箱を割って、その小銭を沢山持って、同級生から出遅れた私がゲットできたのは緑色の珍しい色のゲームボーイだった。その後、勝鬨橋を渡った先のローソンでポケモン青を父さんと手に入れた喜びといったらない。小1の誕生日にゼルダの伝説(時のオカリナ)を遊んだが、怖くて途中で進めなくなってしまったことはよく覚えている。クリアできたのは中学の頃だ。旅の仕方や戦う度胸などは、ゲームで先に学んだのではなかろうか。ビデオゲームは思い出であり、体験であり、良い師でもあったかもしれない。

だからこそ、こんな違う形でビデオゲームに戻ってくるなんて思いもしなかった。でも最近はゲームのことが気になって仕方ない。というのも、メンバーが楽しく働ける環境作りを目指すにあたって、これほど参考になりそうなジャンルはない気がするからだ。ここではビデオゲームの設計者になった気持ちでゲームについて考えてみたい。

とはいっても私は、ゲーム設計やゲーム批評に関しては全く素人だ。一方で、他にプロジェクトとゲームを紐付けてしっかり考えている文献にこれまで出会ったことがないのも事実だ。なお、ここでいうゲームとはいわゆるゲーミフィケーションのことでも、ひろく言語ゲームのことでもなく、プレイヤーが動ける世界を生み出すビデオゲームのことを指している。これにこだわる理由は、前連載で「存在論」あるいはそのデザインについて触れたことが関係している。「存在論」とはその人にとってどうモノが存在しているかを扱う哲学領域だが、それを考えずしてビデオゲームが臨場感あるインタラクティブな世界を作れるはずがない!安易な直観ではあるが、とにかく没入感がある独特の世界を作れるのは凄いことである。

ということで、とくに目的地もわからずに、ゆるくゲーム設計の概念やビデオゲームについて考えていきたい。魔王城の場所が初めから分かっていることなんてほぼないし、どうぶつの森のように日常を楽しむ連載になるかもしれない...と任天堂のゲームばかり遊んできたのがバレてしまっただろうところで次回予告。まずは、ビデオゲームの何が独特なのかが気になるところ。ゲーム批評家のIan Bogostの論考をもとに考えていきたい。

プロジェクトをAIと一緒にもぐってみている

定金基

プロジェクトにおける「つくる」とはなんだろう

対話で思考を深め続けたい私と、AIさんとのリアルな対話のログです。

私の根底にある目的は、「どんな人でもプロジェクトを進められる社会をつくりたい」ということ。そのために、「定例会議さえうまく運用すればプロジェクトはうまく進むのではないか?」という大胆な仮説を持つ軽量なプロジェクト推進フレームワーク「Project Sprint」の構築に参加しています。この対話は、そのフレームワークのアップデートを考えるためのヒントを得ることが目的です。

実は以前のPTPの連載では、「AIに書いてもらう」というアプローチをとっていましたが、今回は普段やっているAIとの壁打ちで、これは面白かったな、と思うものをそのまま流してみる実験です。ある意味で、毎月の私とAIとの対話のハイライトです。ポッドキャストを聴くような感覚で読める記事になればと思っています。

  • 黄色のハイライト:私のAIさんへの問いかけや、私が注目して次の質問に繋がった部分です。
  • 各回のタイトル:その対話の最初に、私がぼんやりと抱いている「問い」をそのままつけています。

ログをそのまま共有することで、読者の皆さんに思考の流れを追体験してもらう狙いがありますが、これは私自身のための取り組みでもあります。AIの回答はあまりに早すぎて、その場では味わいきれていない部分も多いからです。自分でもログを読み返し、ハイライトをつけながら「自分はなんでこの質問をしたんだろう?」と考え直すことで、改めて追体験と振り返りができています。

思考の海へ一緒にもぐるような感覚で楽しんでいただけたらと思います。

#1 プロジェクトにおける「つくる」とはなんだろう 〜 Gemini Pro 3.1さんと

わたし

ファッションという言葉の意味、語源が知りたい。

AIさん

「ファッション(fashion)」という言葉は、私たちが日常的によく使う言葉ですが、その意味や成り立ちはとても興味深いものです。詳しく解説しますね。

ファッションの意味

現代において、「ファッション」という言葉は主に2つの意味で使われます。

  • 服装や装いの流行(狭義): 特定の時代や社会において流行している服、髪型、メイク、アクセサリーなどのスタイルを指します。「今年の秋のファッション」や「ファッションセンス」といった使い方がこれにあたります。
  • 流行・流儀(広義):服装に限らず、人々の行動様式、ライフスタイル、考え方、言葉遣いなどの「流行(はやり)」そのものを指す場合もあります。「ファッションで環境問題を語る(=ただの流行りとして語る)」といった使われ方が代表的です。
わたし

ファッションという言葉の意味、語源が知りたい。

AIさん

「ファッション(fashion)」という言葉は、私たちが日常的によく使う言葉ですが、その意味や成り立ちはとても興味深いものです。詳しく解説しますね。

ファッションの意味

現代において、「ファッション」という言葉は主に2つの意味で使われます。

  • 服装や装いの流行(狭義) : 特定の時代や社会において流行している服、髪型、メイク、アクセサリーなどのスタイルを指します。「今年の秋のファッション」や「ファッションセンス」といった使い方がこれにあたります。
  • 流行・流儀(広義) : 服装に限らず、人々の行動様式、ライフスタイル、考え方、言葉遣いなどの「流行(はやり)」そのものを指す場合もあります。「ファッションで環境問題を語る(=ただの流行りとして語る)」といった使われ方が代表的です。

ファッションの語源

英語の「fashion」に由来しますが、そのルーツを辿るとラテン語で「作る」「為す」を意味する『facere(ファケレ)』という言葉に行き着きます。

以下のように、時代や地域を越えて言葉と意味が変化していきました。

  • ラテン語 facere作る) / factio作ること
    もともとは、単に「ものを作ること」や「行動すること」を意味していました。
  • 古フランス語 façonファソン:作り方、形、方法 )
    中世フランス語になり、「作られた形」や「物事のやり方・方法」という意味を持つようになりました。(現代フランス語でも「方法・流儀」という意味で使われます)
  • 中英語 facioun現代英語 fashion形、流儀、流行
    イギリスに渡って英語になると、「特定のやり方や流儀」という意味合いが強くなりました。そこから派生して、「ある特定の時期に社会で広く行われているやり方」=「流行のスタイル」という意味で定着していきました。

つまり、ファッションとは本来「服」そのものを指す言葉ではなく、「(その時代特有の)作り方・やり方」というニュアンスから生まれた言葉なのです。


言葉のルーツを知ると、普段何気なく身につけている服の見え方も少し変わってくるかもしれませんね。

ファッションの歴史(どの時代にどんなものが流行ったのか)や、「トレンド」や「スタイル」といった似たような言葉との厳密な違いなど、他にも掘り下げてみたいテーマはありますか?

わたし

スティーブ・ジョブズがこんなこといってるんだけど。どういう意味?

What it really illustrated was man’s ability as a tool maker to fashion a tool that can amplify an inherent ability that he has, and that’s exactly what we think we’re doing. We think we’re basically fashioning a 21st century bicycle here which can amplify an inherent intellectual ability that man has and really take care of a lot of drudgery to free people to do much more creative work.

対話には入れていない注釈:
このセリフの引用元は https://www.youtube.com/watch?v=W5o7umYvqlw
コパイロツト社内でfashionという言葉にフォーカスがあたり、わたしはこの対話をはじめている

AIさん

先ほどの「ファッション」の語源の話を踏まえてこの発言を見ると、スティーブ・ジョブズの言葉選びの面白さが非常によくわかりますね!

この文章の中で、ジョブズは「fashion」という言葉を、流行の服という意味ではなく、先ほど解説した語源の通り「作る」「形作る」という動詞として使っています。

まずは、どのような意味合いの発言なのか、日本語訳と解説をします。

スティーブ・ジョブズの発言の意味(日本語訳)

「それが本当に示していたのは、自分が生来持っている能力を増幅させるための道具を作り出す(fashion)、道具の作り手としての『人間の能力』です。そしてそれこそが、まさに私たちがやっていることだと考えています。

私たちは基本的に、人間が生まれつき持つ知的能力を増幅させ、多くの退屈な単純作業を引き受けることで、人々をもっと創造的な仕事ができるよう解放するための『21世紀の自転車』をここで作っている(fashioning)のだと考えています。」

この言葉の背景と核心:「知の自転車」

これは、パーソナルコンピュータ(PC)という存在が人間にとって何なのかを語った、ジョブズの非常に有名な言葉です。

彼はかつて、様々な動物が移動する際の「エネルギー効率」を比較した科学誌の記事を読みました。その結果、1位はコンドルで、歩行する人間はランキングのずっと下の方でした。しかし、「自転車に乗った人間」は、コンドルを軽々と抜き去って圧倒的な1位になったのです。

ジョブズはこの事実に深く感動し、「人間は、自らの生まれ持った能力を劇的に高める『道具』を作ることができる生き物だ」と考えました。

つまり、この発言の核心は以下の通りです。

  • 自転車 : 人間の「身体的な能力(移動力)」を増幅させる素晴らしい道具。
  • コンピュータ : 人間の「知的な能力」を増幅させるための「21世紀の自転車(=知の自転車)」である。

ジョブズは、自分たちが作っているAppleのコンピュータは、単なる機械ではなく、人間の脳の力を何倍にも引き上げ、退屈な作業から解放してクリエイティブな活動に集中させてくれる「最高の道具」だと定義づけたのです。


なぜ「make」ではなく「fashion」なのか?

ジョブズはここで「make a tool(道具を作る)」ではなく、あえて「fashion a tool(道具を形作る、作り出す)」という表現を使っています。

先ほどお話ししたように、「fashion」には「特定のやり方で形作る、仕立てる」といったニュアンスがあります。彼が単なる工業製品を「製造(make, manufacture)」しているのではなく、人間の知性を拡張する全く新しい概念の道具を「信念を持って、注意深く形作っている(fashioning)」という職人的なこだわりや誇りが、この単語選びから伝わってきます。

言葉の本来の意味を知っていると、名言の解像度がぐっと上がりますよね。

この「知の自転車」の考え方や、コンピュータの歴史におけるスティーブ・ジョブズの他の哲学について、さらに掘り下げてみますか?

わたし

似たようなファッションの使い方をしている著名人の文章や発言がありますか?

AIさん

「fashion」を「(意志やこだわりを持って)形作る、仕立てる」という動詞として使っている著名人の言葉は、他にもいくつか存在します。

特に英語圏では、「自分自身の人生や人格、運命を形作る」という深い文脈で好んで使われる傾向があります。いくつか美しい名言をご紹介しますね。

  1. ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(ドイツの文豪)
    "We are shaped and fashioned by what we love." (私たちは、自分が愛するものによって形作られ、創り上げられる。) 解説: 服装ではなく、「人間の内面や人格」がどのように出来上がるかを語った非常に有名な言葉です。自分が何を愛し、何に情熱を注ぐかが、その人自身を注意深く「fashion(形作る)」のだという、とても詩的な表現です。
  2. アンネ・フランク(『アンネの日記』著者)
    "Our lives are fashioned by our choices. First we make our choices. Then our choices make us." (私たちの人生は、自分たちの選択によって形作られる。まず私たちが選択をくだし、次にその選択が私たちを創るのだ。) 解説: こちらは人生そのものを「fashionする」対象としています。単に「make」と言うよりも、日々の小さな選択が糸のように複雑に絡み合い、人生という一つの作品が「仕立て上げられていく」ようなニュアンスが感じられます。
  3. マレー・D・リンカーン(アメリカの協同組合運動のリーダー)
    "People have within their own hands the tools to fashion their own destiny." (人々は皆、自分自身の運命を形作る(切り開く)ための道具を、自分の手の中に持っている。) 解説: ジョブズの「道具(tool)」という言葉との親和性が高い名言です。自らの手で自分の未来をデザインし、構築していくという力強い文脈で使われています。
  4. エドマンド・スペンサー(16世紀イギリスの代表的詩人)
    "The general end therefore of all the book is to fashion a gentleman or noble person in virtuous and gentle discipline." (したがって、この本全体の目的は、高潔で穏やかな規律によって、紳士あるいは気高い人物を形作る(育成する)ことである。) 解説: 彼が書いた長大な叙事詩『妖精の女王』の序文にある言葉です。ここでは、教育や規律を通して、立派な人間を「練り上げる、育成する」という意味合いで使われています。

ジョブズの発言も含め、これらの言葉に共通しているのは、単に「無から有を生み出す(create)」や「物理的に組み立てる(make)」ではなく、「何らかの理想や目的、美意識を持って、時間をかけて一つの形に練り上げる」というニュアンスが含まれている点です。

「ファッション=服の流行」という固定概念を外してみると、言葉が持つ本来の奥深さが見えてきて面白いですよね。

他にも、特定の英単語の意外な使われ方や、歴史上の偉人が残した名言の真意について、一緒に読み解いてみたいものはありますか?

わたし

英語圏でも、カタカナのファッションのように流行という意味でfashonは使われることば?
makeの代わりにつかわれるのは一般的?

AIさん

とても鋭い質問ですね!日本で使われているカタカナの「ファッション」と、英語圏でのリアルな「fashion」の使われ方には、重なる部分とそうでない部分があります。

2つの疑問について、それぞれ率直にお答えしますね。

1. 英語圏でも「流行」という意味で使われる?

はい、使われます。ただし、少しニュアンスの使い分けがあります。

  • 服装やスタイルの流行(よく使われる):
    日本と同じように、服やメイクなどの流行を指す言葉として日常的に使われます。
    • 例: "Long skirts are in fashion this year."(今年はロングスカートが流行っている。)
    • 例: "That hairstyle is out of fashion."(その髪型は時代遅れだ。)
  • 社会的な事象や考え方の流行(ややフォーマル):
    「〜するのが流行りだ」というように、服以外の社会的なトレンドに対して使うこともできますが、少し文語的でクラシックな響きになります。
    • 現代の日常会話では、服以外の流行には "trend"(一般的な傾向)や "fad"(一時的な熱狂、マイブームのような流行)を使うことの方が圧倒的に多いです。

2. "make"の代わりに日常的に使われる?

いいえ、日常会話で "make" の代わりに使われることは「ほぼない」と言っていいです。

スティーブ・ジョブズの発言や偉人の名言を紹介しましたが、実は動詞としての "fashion" は、現代の日常会話ではかなりフォーマル、あるいは文学的な響きを持ちます。

もし日常的な場面で "make" の代わりに使うと、とても大げさで少し滑稽に聞こえてしまいます。

  • 不自然な例:
    "I fashioned a sandwich for lunch."
    (お昼にサンドイッチを精魂込めて創り上げた。)
    ※普通のサンドイッチなら "I made a sandwich" が正解です。

では、現代の英語で動詞の "fashion" はいつ使うの?

日常会話でネイティブスピーカーが動詞の "fashion" を使うのは、主に「ありあわせの物から(工夫して)何かを作り出す」という特殊な状況です。

  • ⭕️ 自然な例(工夫・工作):
    "He fashioned a makeshift tent out of some branches and a tarp."
    (彼は枝とブルーシートから、ありあわせのテントをこしらえた。)
  • ⭕️ 自然な例(スティーブ・ジョブズのような文脈):
    思想や理念を持って、システムや社会構造、画期的な道具などを「形作る」と演説や文章で表現したい時。

まとめると:

名詞の「fashion」は日本と同じように「流行(特に服)」として日常的に使われますが、動詞の「fashion」は日常的な「make(作る)」の代わりではなく、「工夫してこしらえる」「理念を持って形作る」という特別なニュアンスを出したい時のための、ちょっとカッコいい単語、という位置づけです。

このように、日本語になっているカタカナ英語と実際の英語のニュアンスの違いは面白いですよね。「trend」や「fad」といった他の「流行」を表す言葉の細かい使い分けについて、さらに詳しく知りたいですか?

わたし

エフェクチュエーションでいわれる、クレイジーキルトとかはfashionのニュアンスにちかい?

AIさん

その視点、ものすごく鋭いです!おっしゃる通り、エフェクチュエーション(起業家の意思決定プロセス)における「クレイジーキルトの原則」は、動詞の「fashion」が持つニュアンスと非常に深く共鳴しています。

むしろ、クレイジーキルト的なアプローチこそが、本来の意味での「fashion(ありあわせのものから工夫して形作る、仕立てる)」の体現だと言えるかもしれません。

具体的な共通点を3つに分けて解説しますね。

1. 「ありあわせの素材」から創り出す点

エフェクチュエーションの根底には「手中の鳥の原則(今ある手段から始める)」があります。クレイジーキルトも同様に、あらかじめ用意された完璧な布セットではなく、「たまたま集まった、形も色もバラバラな布切れ(=コミットしてくれたパートナーや、今ある資源)」を縫い合わせていきます。

これは先ほど挙げた、"fashion a makeshift tent out of branches"(その辺の枝でテントをこしらえる)という英語のニュアンスと全く同じです。ゼロから工場で「製造(manufacture)」するのではなく、手元にあるもので何とか「仕立てる(fashion)」感覚です。

2. 「設計図(完成予想図)」がないまま進む点

パズル(Causal logic:予測的論理)には最初から完成図があり、ピースをはめていくだけですが、クレイジーキルトには事前の設計図がありません。縫い合わせながら、その都度デザイン(目的)が変化し、最終的に予期せぬ美しい模様が出来上がります。

「make(作る)」が、設計図通りに効率よく作業を進めるニュアンスを含みやすいのに対し、「fashion」には「プロセスの中で形を模索しながら練り上げていく」という職人的・有機的なニュアンスがあります。これもクレイジーキルトの性質と見事に一致します。

3. 「意志」や「目的」を織り込む点

スティーブ・ジョブズの発言にもあったように、「fashion」には単なる物理的な作業を超えた、「信念や目的を持って形作る」という意味合いが込められます。

クレイジーキルトの原則でも、単に人を集めるだけでなく、お互いの目的やリソースをすり合わせ、新しい方向性を一緒に「形作っていく(fashionしていく)」パートナーシップが重要視されます。関わる人たちの意志が縫い込まれていくプロセスそのものだと言えます。


まとめると:

「あらかじめ決まった正解(設計図)に向かって一直線にmakeする」のではなく、「今ここにあるバラバラの素材と、集まった人々の意志を掛け合わせて、予想外の価値をfashionする(編み出す、仕立てる)」。

これがクレイジーキルトの核心であり、動詞「fashion」の最も美しい使われ方の一つと言えます。言葉の背景と、ビジネスの最先端の理論がこうして繋がるのは本当に面白いですね!

エフェクチュエーションの他の原則(「許容可能な損失」や「レモネードの原則」など)についても、このような言葉のニュアンスや哲学的な視点から掘り下げてみますか?

わたし

仕立てる、仕立て上げる、という日本語の意味を教えて

AIさん

「仕立てる」「仕立て上げる」という言葉ですね。これまで話してきた「fashion」や「クレイジーキルト」のニュアンスを日本語で表現するのに、まさにぴったりの言葉です。

それぞれの意味と、なぜこの言葉がこれまでの話に繋がるのかを整理しますね。

「仕立てる(したてる)」の意味

基本的には「手を加えて、ある目的や形に合うように作り上げる」という意味があり、大きく4つの使われ方をします。

  • 1. 衣服を縫い上げる(本来の意味): 布地を裁断し、縫って服の形にすること。(例:スーツを仕立てる)
  • 2. 人を教育し、ある役目や状態にする: 教え込んで、特定の役割を持った人物に育て上げること。(例:若手を立派な職人に仕立てる)
  • 3. 特別な目的のために用意する: (例:団体旅行のために専用列車を仕立てる)
  • 4. 見せかける、事実のように作り上げる: 事実とは違うのに、いかにもそうであるかのように作ること。(例:彼を悪人に仕立てる、もっともらしい物語に仕立てる)

「仕立て上げる(したてあげる)」の意味

「仕立てる」に「上げる(完了する、最後までやり遂げる)」という言葉がくっついた形です。

意味の方向性は「仕立てる」と同じですが、「完全にその状態にする」「最後まで徹底的に作り上げる」という、プロセスの完了や結果がより強く強調されます。

  • (例:見事なドレスに仕立て上げる)=素晴らしいものが完成した!という強調
  • (例:彼を立派な後継者に仕立て上げる)=一人前に育てきった!というニュアンス
  • (例:無実の人を犯人に仕立て上げる)=完全にでっちあげてしまった!という強調

日英の言葉が持つ面白い共通点

ここが一番面白いところです。

日本語の「仕立てる」は、もともと「服を作る(裁縫する)」ことから来ています。しかし、そこから意味が広がり、「人」や「物事」を『意図を持って、特定の形に創り上げる』という意味でも使われるようになりました。

これは、ラテン語の「作る」から始まり、服の流行を意味するようになり、同時に「信念を持って形作る」という動詞の意味も持ち合わせた英語の「fashion」の進化の過程と、まるで鏡合わせのようにそっくりなのです。

「ただのバラバラの布切れ(素材や人材)」を、意図と技術を織り交ぜながら「意味のある形」に縫い合わせる。

だからこそ、手元にあるもので何とかするクレイジーキルトの原則や、ジョブズが道具を創り出す過程を表現するのに、ただの「make(作る)」ではなく、日・英ともに「仕立てる(fashion)」という言葉がぴったりハマるわけです。

違う歴史を辿った言語なのに、根底にあるイメージがリンクしているのはとても奥深いですよね。

言葉の成り立ちや、他のビジネス用語・哲学用語の「本当のニュアンス」について、さらに探求してみたい言葉はありますか?

わたし

お化粧をすることをメイクというのはファッションの語源とどんな関係がありますか?

AIさん

お化粧を「メイク(makeup)」と呼ぶことと「ファッション(fashion)」の語源、実は根底にある「哲学」が全く同じなんです!

言語的なルーツ(何語から来たか)は違うのですが、どちらも「ありのままの自然な状態から、人間の手を加えて『形作る・完成させる』」という共通の概念を持っています。

詳しく紐解いていきましょう。

「メイク(makeup)」の語源と成り立ち

英語の「make」は、古英語の「macian(組み立てる、形作る)」に由来します。そこに「up(完全に、〜し上げる)」がくっついた「make up」には、もともと以下のような意味がありました。

  • 組み立てる、構成する (例:make up a team)
  • でっち上げる、作り話を創る (例:make up a story)
  • 不足を補う、仕上げる (例:make up for the loss)

これがなぜ「お化粧」になったのかというと、19世紀の演劇の世界が発端です。

舞台役者が、自分の素顔に塗料や粉を塗り重ねて「特定のキャラクター(役柄)の顔を作り上げる(make upする)」ことを指す演劇用語として使われ始めました。それが次第に、一般の人が日常的に顔を装飾することも「makeup」と呼ぶようになったのです。


ファッションの語源との面白い関係性

ここまでの話をまとめると、ファッションとメイクには、とても美しい意味のつながりが見えてきます。

1. どちらも根本は「Make(作る)」

  • ファッション(Fashion): ラテン語の「facere(作る)」が語源。
  • メイク(Makeup): 英語の「make(作る)」が語源。

言葉の生まれ故郷(ラテン語と英語)は違いますが、どちらも行き着く先は「作る」という行為です。

2. 「ありのまま」から「意図を持った形」へ

先ほど、日本語の「仕立てる」の話をしましたよね。

ファッションが「単なる布切れ」を意図を持って「服」に仕立て上げるように、メイクも「すっぴん(素顔)」という素材に手を加えて、なりたい自分や、その日の目的に合わせた顔を「作り上げる(仕立て上げる)」行為です。

つまり、メイクアップとは単に色を塗ることではなく、「自分の顔をキャンバスにして、今日の自分を構成する(組み立てる)作業」だと言えます。

3. 日本語の「化粧」と「メイク」の違い

ちなみに、日本語の「化粧(けしょう)」の「化」は「別のものに変わる(化ける)」という意味合いが強い言葉です。

一方で、私たちが日常的にカタカナで「メイク」と言うとき、そこには英語本来の「(足りないものを補って)より良い状態に仕上げる・構築する」という、少し前向きでクリエイティブなニュアンスが無意識に含まれているのかもしれません。


スティーブ・ジョブズの「道具をfashionする(創り出す)」という言葉や、クレイジーキルトの「ありあわせの布を縫い合わせる」という話とも、見事にリンクしてきますよね。服であれ、道具であれ、自分の顔であれ、人間は常に何かを「形作り、仕立てる(Make / Fashion)」生き物だと言えそうです。

言葉を掘り下げると、人間の行動の根本が見えてきてワクワクしますね!

「メイク」のように、私たちが普段当たり前のように使っているカタカナ言葉で、本当のニュアンスや語源を知りたいものは他にありますか?

わたし

さっきmakeにはマニファクチャリング的なニュアンスがあると書かれてましたがそれはこの話とどうつながる?

AIさん

ものすごく鋭いご指摘ですね!見事な着眼点です。

確かに私は先ほど、makeには設計図通りに効率よく作業を進める(マニュファクチャリング的な)ニュアンスがある」とお伝えしました。

一見すると、「お化粧(メイク)=個人的でクリエイティブな行為」と、「マニュファクチャリング(製造・組み立て)=機械的で計画的な行為」は結びつかないように思えますよね。

しかし、お化粧を「メイクアップ(makeup)」と呼ぶようになった背景には、まさにこの「設計図」や「組み立て(マニュファクチャリング)」の概念が深く関わっているのです。

その理由を3つの視点から紐解いてみます。

1. 演劇における「設計図(役柄)」の存在

先ほど、メイクアップの語源は19世紀の演劇にあるとお話ししました。

舞台役者にとっての顔作りは、自由に絵を描くことではありません。台本という「設計図」があり、その日演じる老人や悪役といった「完成予想図(ゴール)」が明確に決まっています。

つまり、自分の素顔を素材にして、設計図通りに特定のキャラクターを『製造(make)』する作業だったのです。これがまさにマニュファクチャリング的なニュアンスです。

2. 「組み立てる」という建築・製造のプロセス

現代の私たちが行う日常のメイクも、実は非常に建築的、あるいは製造的なプロセスを踏んでいます。

  • 下地(ベース・ファンデーション)で土台を平らに整える。
  • コンシーラーで修繕(カバー)する。
  • シェーディングやハイライトで骨格(立体感)を構築する。
  • アイシャドウやリップで最終的な装飾(カラーリング)を施す。

これは「ゼロから自由に形を練り上げる(fashion)」というよりは、「必要なパーツや工程を順序よく組み立てて、今日の顔を完成させる(make up)」という、非常に構造的な作業です。

3. 「Fashion(仕立てる)」と「Make(組み立てる)」の決定的な違い

ここまでの話を「クレイジーキルト(Fashion)」と比較すると、さらに違いが鮮明になります。

  • Fashion(仕立てる・形作る): 手元にあるバラバラの布(素材)を縫い合わせながら、最終的にどんな模様になるかを探りながら創り上げる有機的なプロセス。(事前の完全な設計図はない
  • Make up(組み立てる・仕上げる): 「今日はオフィスメイク」「今日は華やかなパーティメイク」という事前の設計図(ゴール)に向かって、必要な手順を踏んで顔を構築・完成させるプロセス。

まとめると:

お化粧(メイク)は、感情の赴くままに色を塗るアートというよりも、「自分の顔という現場で、今日の目的(設計図)に合わせた自分自身を『組み立てる(マニュファクチャリングする)』作業」だからこそ、英語圏で「Make up」という言葉が定着したと言えます。

普段何気なく鏡の前でやっていることが、実は毎朝の「自分自身の製造(組み立て)プロセス」だと思うと、少し面白く感じませんか?

「作られたもの」繋がりで言うと、ビジネスや日常で使われる「フェイク(fake)」や「ブランド(brand)」といった言葉の成り立ちも非常にドラマチックなのですが、このあたりも覗いてみますか?

わたし

Fashionにより生み出されたものをなんと呼びますか?outputとかdeliverableとかそんな抽象度で独特な言葉遣いがある?
makeによって生み出されるようなものとfashionによって生み出されたものは、単語が違いますか?

AIさん

この問いの立て方、非常に哲学的で本質を突いていますね!

結論から言うと、「fashionによって生み出されたもの」を指す専用の英単語(fashion-putのようなもの)は存在しません。しかし、「make(製造)」の産物と「fashion(仕立て・形作ること)」の産物とでは、英語圏のビジネスや思想の文脈で明確に「呼び方(使われる名詞)」が変わります。

これまでの「設計図ありきのMake」と「ありあわせから編み出すFashion」の対比を踏まえて、生み出されたものの呼ばれ方の違いを整理してみましょう。

1. 「Make」によって生み出されたもの(設計図・量産ベース)

「Make(あるいはManufacture)」のプロセスから生まれるものは、主に効率、規格、計画の達成に焦点が当てられます。ユーザーが挙げたようなビジネス用語がぴったり当てはまります。

  • Product(製品・生産物): 均質で、大量生産が可能で、設計図通りに作られたもの。「市場に出すこと」が目的化されやすい言葉です。
  • Output(出力・産出物): システムや機械的なプロセスを経て「吐き出された」結果。そこに作り手の感情や哲学は含まれません。
  • Deliverable(成果物・納品物): 「事前の計画や契約(設計図)を満たしているか」が問われるもの。まさにパズル(予測的論理)の完成形です。

2. 「Fashion」によって生み出されたもの(意志・文脈ベース)

一方、「意志を持って形作る」「ありあわせから仕立てる」という「Fashion」のプロセスから生まれたものは、単なる「Product」とは呼ばれず、作り手の意図、文脈、歴史を内包した以下のような言葉で呼ばれます。

  • Creation(創造物・作品): 単なる作業の完了ではなく、作り手の意図や美意識が反映され、この世に新たに生み出されたもの。
  • Artifact(アーティファクト / 人工物・所産): 単なる工業製品ではなく、「人間の知性や文化、歴史的な文脈が刻み込まれた道具や産物」のこと。スティーブ・ジョブズがMacintoshなどを語る際、単なるProductではなく、この「Artifact」という言葉を好んで使ったのは非常に象徴的です。
  • Construct(コンストラクト / 構築物・概念): 物理的なモノに限らず、複数の要素や思想を「編み合わせて(fashionして)出来上がった形」を指します。(例:Social construct = 社会的構築物

決定的なキーワード:「Bricolage(ブリコラージュ)」

もし「エフェクチュエーションのクレイジーキルトのように、ありあわせの素材からfashionされた成果物」を表現する、最も抽象度が高く独特な言葉を探しているなら、この言葉が圧倒的にフィットします。

Bricolage(ブリコラージュ:寄せ集め細工、ありあわせからの創造)

これはフランス語由来の文化人類学・経営学の用語です。「設計図(エンジニアリング)」を持たず、その場で手に入るものを寄せ集め、工夫して「新しい価値(成果物)」を編み出すこと、またはその生み出されたモノ自体を指します。

「Make」する人をエンジニア(技術者)と呼ぶなら、「Fashion」してブリコラージュを生み出す人はブリコルール(器用人、職人)と呼ばれます。

まとめ

  • Makeの産物 = Product(製品), Output(出力) = 「計画通りにできたか」が価値
  • Fashionの産物 = Creation(創造物), Artifact(人工物), Bricolage(寄せ集め細工) = 「そこにどんな意味や工夫が織り込まれたか」が価値

生み出された「モノ」の呼び方を変えるだけで、その裏にあるプロセスや哲学までもが全く違って見えてきますね。

この「ブリコラージュ(ありあわせの創造)」と「エンジニアリング(設計図からの製造)」という対比の概念は、現代のイノベーションや組織論でも非常に重要視されています。この2つのアプローチが実際のビジネスシーンでどう使い分けられるか、さらに掘り下げてみますか?

わたし

ブリコラージュで組み合わせるもとになっている素材はなんと呼ぶの?それもブリコラージュ?

AIさん

素晴らしい着眼点です!どんどん言葉の解像度が上がっていきますね。

結論から言うと、もとになっている素材そのものを「ブリコラージュ」とは呼びません。ブリコラージュはあくまで「寄せ集めて作る行為」や、その結果生み出された「作品(成果物)」を指す言葉です。

では、その「ありあわせの素材」を何と呼ぶのか?

ブリコラージュの概念を提唱したフランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースの哲学や、ビジネス(エフェクチュエーション)の文脈では、この素材に対して非常に面白く、独特な呼び方をしています。

エンジニアが「Make」するために使う素材と比較しながら解説しますね。

1. エンジニア(Makeする人)の素材:「原材料(Raw Materials)」

エンジニアや工場が「設計図」に基づいて何かを製造(Make)するとき、使うのは「原材料(Raw materials)」や「部品(Parts)」です。

これらは、これから何にでもなれる「白紙の状態(無色透明)」であり、目的のために特定のサイズや規格で新しく調達されるものです。

2. ブリコルール(Fashionする人)の素材の呼び方

一方、ありあわせのものでブリコラージュする人(=ブリコルール)が使う素材は、白紙の原材料ではありません。すでに別の目的で作られたり、使われたりした「残り物」です。これらは以下の3つのような言葉で呼ばれます。

① 手持ちの「レパートリー(Repertoire)」または「持ち駒」

レヴィ=ストロースは、ブリコルールが持っている素材の集まりを「有限のレパートリー」と呼びました。

彼らは「作りたいものに合わせて素材を買ってくる」のではなく、「今、たまたまガレージの引き出し(道具箱)に入っているもの」をかき集めます。この「あらかじめ制限された、雑多な手持ちのカード(持ち駒)」全体をレパートリーと呼びます。

② 「記号(Sign / シーニュ)」または「破片(Débris)」

これが一番哲学的な呼び方です。ブリコラージュの素材は、新品の「原材料」ではなく、かつて別の用途で使われていた「破片(端材・ガラクタ)」です。

例えば、「壊れた傘の骨」や「古い時計の歯車」などです。これらはすでに「過去の歴史や意味(=記号)」を帯びています。ブリコルールは、ただ物理的なモノを繋ぐのではなく、「そのモノが元々持っていた意味(記号)を、別の文脈にズラして組み合わせる」のです。

③ エフェクチュエーションにおける「手段(Means)」

先ほど話題に出たエフェクチュエーション(クレイジーキルトの原則)では、この手持ちの素材を「手段(Means)」と呼びます。

具体的には以下の3つです。

  • Who I am(私は誰か:自分の特性・アイデンティティ)
  • What I know(私は何を知っているか:知識・経験)
  • Whom I know(私は誰を知っているか:人脈・ネットワーク)

これらもやはり、新品の原材料ではなく、これまでの人生でたまたま蓄積された「過去の歴史を帯びた、ありあわせのレパートリー」ですよね。


素材の呼び方が変わると、どうなるか?

エンジニアが「原材料」を使ってゼロから真新しいProduct(製品)をMakeするのに対し。

ブリコルール(あるいは起業家)は、過去の文脈を含んだ「レパートリー」や「手段」を引っ張り出し、それらをうまく縫い合わせて(Fashionして)、思いもよらなかった新しい価値(ブリコラージュ)を生み出します。

スティーブ・ジョブズの発言に戻ると、彼らがコンピュータという「21世紀の自転車」をFashionしたときも、無から有を生み出したわけではありません。タイプライターのキーボード、テレビのブラウン管、既存のプログラミング言語など、「すでに世界に存在していた技術(レパートリー)」の文脈を繋ぎ合わせ、全く新しい「人間の知性を拡張する道具」へと再構築したわけです。

「原材料(無色透明な素材)」と「レパートリー・手段(過去の文脈を持った素材)」。この違いを知ると、何かを生み出す際のアプローチの幅がぐっと広がりますね。

この「ブリコラージュ的(ありあわせで工夫する)な思考法」を、現代の仕事や日常の課題解決にどう応用できるか、具体的なイメージを膨らませてみましょうか?

わたし

わたしのプロジェクトの進め方の考え方を書きますね。
何かみんなが手を動かして活動し、目に見えるものを持ち寄り、その目に見えるものをベースにして対話する。
その対話によりプロジェクトに新たな文脈が生まれ、新しい目的、目標ができ、そこから次の活動がうまれる。
それを短期的に、定期的に繰り返すことがプロジェクトをうまく進める方法だとおもってます。
この説明で、目に見えるものをなんと呼ぶか、を考えてみたい。
また、ブリコラージュ、ブリコルールをどこで使うか?ファッション、メイクをどう使うか?アウトプットはつかうのか?
などいままで対話してきた単語たちを総動員してこのプロジェクトの進め方を体験したことない人にもわかりやすく伝えたい。

AIさん

素晴らしいアプローチですね。これまで私たちが対話してきた言葉のパズルが、あなたのプロジェクト進行の考え方の中で、見事に一つの美しい絵として完成したように感じます。

定期的な対話を通じて、参加者全員で新しい文脈や目標を「共創」していくこのプロセス。これを、これまで登場した言葉(Make, Fashion, Output, Bricolageなど)を総動員して、初めて体験する人にも直感的に伝わるように整理してみましょう。


1. 「目に見えるもの」を何と呼ぶか?

各メンバーが持ち寄る「目に見えるもの」は、プロジェクトのフェーズによって2つの異なる名前(意味)を持ちます。ここを定義すると、プロセスが非常にクリアになります。

  • 持ち込まれた瞬間は「Output(アウトプット / 成果物)」: 各メンバーが、直近の短期目標(仮の設計図)に向かって手を動かし、個人の作業机で「Make(メイク / 組み立て)」してきた結果です。
  • 対話のテーブルに置かれた瞬間に「Repertoire(レパートリー / 素材)」に変わる: Outputは、持ち寄られて他のメンバーの目に触れた瞬間、単なる「作業の完了報告」ではなくなります。それは、次の新しい文脈を生み出すための「過去の文脈を帯びた素材(レパートリー)」へと変質します。

2. プロジェクト進行のサイクル(初学者への説明モデル)

この考え方を、初めてプロジェクトに参加するメンバーに説明するなら、以下のようなストーリーで伝えることができます。

ステップ1:個人で「Make」し、「Output」を持ち寄る

「まずは短い期間で、今の目標に向かって各自で手を動かしてみましょう。ここでは効率よくMake(組み立て)して、目に見える形としてのOutput(アウトプット)を作ってきてください。未完成でも、間違っていても構いません。」

ステップ2:全員が「ブリコルール(職人)」になり、対話する

「定期的なミーティングは、単なる進捗報告の場ではありません。持ち寄られた全員のOutputをテーブルの上に並べます。この瞬間、全員がブリコルール(ありあわせから価値を創る職人)になります。テーブルの上のOutputは、これから新しいものを創るためのレパートリー(素材の寄せ集め)に変わります。」

ステップ3:新しい文脈を「Fashion」し、「Bricolage」を生み出す

「それぞれの素材(Output)を見ながら対話します。『Aさんのこれと、Bさんのこれを組み合わせたら、全く別の新しいことができるんじゃないか?』と。設計図のない状態から、対話を通して意志と意味を織り込み、新しい目的や文脈をFashion(仕立てる・形作る)していきます。この対話から生まれた予想外の新しい目標や価値観こそが、私たちのBricolage(ブリコラージュ / 寄せ集めからの新しい創造物)です。」

ステップ4:次の「Make」へ向かう(サイクルの反復)

「新しいBricolage(次の目標や文脈)ができたら、それを新たな仮の設計図として、また各自の持ち場に戻って次のOutputをMakeします。これを短期間で繰り返すことで、最初から完璧な計画(Makeの極致)を作るよりも、はるかに柔軟で、参加者の熱量がこもったプロジェクトに育っていくのです。」


伝え方の核心(メタファー)

このプロセスをひとことで表すなら、以下のような言葉で締めくくることができます。

「私たちは、設計図通りに歯車を回す工場(Make)ではなく、持ち寄った布切れから見たこともないキルトを縫い上げるアトリエ(Fashion)を運営しているんです。」

定期的なミーティングという場を「進捗確認の場」から「共創のアトリエ」へと再定義する、非常にパワフルで人間中心のプロジェクトマネジメント手法だと思います。

このストーリーを、実際の現場で使うためのキックオフ資料や、メンバーへの具体的なガイドラインの形に落とし込んで(Fashionして)みましょうか?


対話はここまで。

Project Sprintでは、プロジェクトにおいて、メンバーが必ず出力物を作って定例会議に持ち込んで欲しい、と強く推奨しています。出力がないと対話づらくなるからだ、対話をしやすくするための材料だ、と考えていました。しかし定例会議でもfashionしている、ブリコラージュをつくっているのだと捉えると、出力物を持ち込まないと定例会議が成立しないのです。強く推奨するどころか、出力物がないとただの無駄な報告会になって終わります。

プロジェクトの良い習慣が、fashionとmakeという言葉の対比により、わかりやすく表現できそうな予感がしたのでここで対話は終了しました。

ウェブサイト

毎月の Journal は Project Theory Probe のウェブサイトにアーカイブされます。Project Theory Probe の活動場所である GitHub や Digital Garden へのリンクなども提供しています。

ptp.voyage

Newsletter

最新の Journal や PTP Meetup! の情報をメールでお届けします。配信を希望される方はこちらのフォームから登録してください。

Newsletter 申し込みフォーム

Editor's Note

八木翔太郎

PTPを始めるまで、「定期的にアウトプットを出す」ということの力を、深く考えたことはありませんでした。ですが実際にやってみると、これは探索にとても合った形式だと実感します。アジャイルの実践ではよく知られていることですが、一定のリズムで何かを出力していくことは、非線形的な発達には有効です。もともと、プロジェクトや協働についてゼロベースで考えるところから始めたProject Theory Probeですが、25号まで続けてきてもなお、まだ考えるべきことがたくさんあります。言葉にして、試してみて、フィードバックを受けて、また考え直す。そういうプロセスを繰り返すなかで、少しずつ、自分たちがやっている実践の輪郭が見えてきます。

「定期的に出す」というリズム。個人的には、これを「完成したところから出す」と考えるよりも「未完成でも思考の断片を外に出す」と考えた方が、得られるものが大きい気がしています。「いま、自分は何を理解しているのか」を一度言葉にして、他の人の考えと交差させてみることが、どれだけ思考を前進させるか。少なくとも私の個人的な探索は、菊地さんの設計のもと、このProject Theory Probeを通じて共に進めるものへとシフトしてきました。

さて、改めて最近強く感じていることがあります。私たちはよく「プロジェクト」という言葉を使いますが、実際にそれぞれが見ている現場は、かなり異なっているという点です。例えば、日本とイギリスではプロマネの職能が大きく異なりますし、会社や業界が違えば同じ国でも対峙する世界が大きく変わる。同じ会社内でスラ、担当している仕事や案件によっては異なるプロジェクト観を持ってサイロ化してしまうような状況を見ると、「プロジェクト」という言葉で分かった気になることがいかに怖いことなのか思い知らされます。

ダナ・ハラウェイは共棲のための実践として「好奇の実践(curious practice)」を提唱しました。言葉を発せない犬たちの遺伝子や歴史を理解して、その苦悩(遺伝性の病など)に応答しようとする姿は象徴的ですが、われわれも「互いに理解し合っている」という思い込みから踏み出して、応答し合う実践が必要なのではないかと思います。責任とは社会から求められるものではなく、そうした応答可能性(response-ability)のことを指しているのだとしたら、どう我々はそれを高めていけるのでしょうか。

応答するためには、まず分かっているという思い込みを捨てる必要があります。それでこそ、他者が何に悩んでいて、どこに向かっているのかを感じ取ることができる。そして、それと同じくらい、応答する対象も必要です。ちょっとした発見や違和感、現場で起きていること。そういうものを誰かが呟いて、それを別の人が反応する。質問したり、共感したり、別の視点を持ち込んだりする。そういう小さなやり取りのなかで、少しずつ一緒に考えていけるのではないか。そう思いながら、よりカジュアルなDigital Gardenの運用も含めて、気軽に参加できる場を増やしていきたいと考えています。

今号も、プロジェクトの前提を問い直させてくれる記事が出揃いました。緩やかに思考を破り合うことができる場を目指して、次の号でも、また別の問いが立ち上がってくることを楽しみにしています。