The Project Theory Probe Journal

Issue 14
Dec. 28 2024

「もつれる」プロジェクトを見てみたい

八木翔太郎

第2回 オートポイエーシスとシンポイエーシス

プロジェクトが「もつれる (Involute)」とはどういうことだろうか。前号では生物進化学においてそのダイナミズムを指摘したチャールズ・ダーウィンについて触れた。しかしわれわれは、自然淘汰のダーウィニズムについては教わってきたが、このもう1つのダイナミズムについては教わってこなかった。忘れられたのはその意義を見出す人が少なかったからだろうか。こうした事柄を語り直すにあたっては、「それが何か」を語るのみならず、「なぜ (改めて) 重要なのか」を説くという2つのことを同時に成さなくてはならないだろう。さもなくば、この連載も物好きな独り言として忘れ去られかねない。

この側面の重要性を声高に主張している1人がダナ・ハラウェイである。彼女は愛犬家だ。もちろんカイエン (愛称: ホットペッパー) という個体としての犬もそうだが、種としての犬に想いを馳せながら伴侶種として人間と共にしてきた歴史とその行く末も案じている。ペット市場における人間 (血統種を重んじるブリーダー達など) の身勝手な遺伝子選択がもたらす帰結に対して、犬に代わって対抗策を講じる活動は1つのケアであり、誰に課されたものでもないにも関わらず、ハラウェイや C.A.シャープなどの活動家が自身が感じて引き受けている責任である。彼女は責任 (responsablitiy) を応答可能性 (response-ability) と読み替えたのだ。

彼女にとって責任とは必ずしも社会的に課されるものではない。むしろ何かに応答 (response) する実践によって絶えず引き受けている関係性のことだ。そうした責任 (reseponse-ability) を醸成するために社会や言説的実践は必要ない。他者や他のモノに対する応答を選ぶなかで能動的に作り上げていくことができる。例えば、異種であっても伴侶種 (ペット) と人は応答し合うことで関係性を紡いでいる。むしろ、言葉を交わせない種同士が人生を添い遂げることを可能にするのが応答可能性 (response-ability) なのである。なんてパワフルな実践なのだろうか。

こうした思想的観点から、ハラウェイはオートポイエーシス (自己創出) がそれ自体では不十分だと指摘する。なぜなら、「オート」が自己を複製するという側面を強調する限りにおいては、個体主義的な見方から完全に脱しておらず、関係性を紡ぎ合う生きた世界を捉えきれていないと考えられるからである。ハラウェイはリン・マーギュリスが菌類が共生する様をsymbiosisと名付けたのを踏まえて、あらゆるものが互いに創出 (making with) する様をシンポイエーシス (sympoiesis) と呼んだ。こうした世界観において生物やモノは関係性を築く編み物 (String Figures) であり、その関係性を取り結ぶ触手を持つクモのような存在 (Cthulu) として捉えられるだろう。実際、菌類は壮大な共生の物語を繰り広げており、その上でわれわれの生きた世界は成り立っている。ここで自己複製をする微生物と共生する微生物は同じものであることに着目したい。つまりオートポイエーシスとシンポイエーシスは対立概念ではなく、むしろ同時に成り立っているものだと考えるべきだろう。ハラウェイは土着民がそう理解して生活してきたように、あらゆる存在の助けによって生きているということを再認識することが、この新たな地質時代に (もっともハラウェイは「人新生」という呼称を人間中心から脱し得ていないとして退けている) は必要だと主張する。アニミズムは思慮のあるマテリアリズムなのだ ("Animism is a sensible materialism")。

シンポイエーシスはあまりにダイナミックで越境的なのでシステムとして描写するのは難しいかもしれない。彼女も実際、そのシンポイエーシスのあり方を自身が「モデル」と呼ぶ幾つかのケースでしか示していない。ただ、そうした世界を実現する手立てとして好奇の実践 (Curious Practice) なるものを紹介してくれている。それは普段であれば見過ごすような事柄の中に「何か驚くような可能性が隠されている」「何か興味深いことが生じる」のではないかという予感を携えた行為である。この好奇な実践によって、例えばアラビアヤブチメドリとそれを観察する鳥類科学者は発見という名の関係性を新たに生み出すのだ。この態度は、ハンナ・アーレントがアドルフ・アイヒマンを無思慮 (thoughtlessness) と形容したその対極にある態度だろう。「想定外の事柄に開かれながら、興味深い質問を呈し、答えて、出生によらない親類関係を築き、予期されなかった結論を共に提案して、出会いに伴う責任を引き受ける」こと。ときに「遠くに行き過ぎる (going too far) 」この実践は、未知への探索であり、安全であるとは限らない。しかし、それは「どうすればこの世界に住みうるのか」という問いによりよく答えるために必要な実践なのである。

ここにきて、やっと本連載を「プロジェクトをシンポイエーシス的に捉える試み」であると呼ぶことができそうだ。近年、プロジェクトを取り巻く激しく変化する環境は「VUCA」と略して説明されるが、それでは環境をブラックボックス化しているだけである。プロジェクトがどのように環境と関係しているのか。あるいはプロジェクトとその外側にある存在たちが共に何を成しているのか。これを理解することは、プロジェクトの「不確実性」を「下げる」「乗り越える」といった発想よりも有効だろうと思うのは私だけだろうか。次号は、シンポイエーシスの発想の源となるsymbiosisを提唱したリン・マーギュリスについて触れてみたい。

ぼくプロジェクト
おじさん

八木翔太郎

(14) ふりかえり

実践!プロジェクト推進のコツ

定金基
どこからそう思いましたか?

ヴィジュアル・シンキング・ストラテジーズ (Visual Thinking Strategies 略称: VTS) と呼ばれる教育プログラムがある。
アート作品を題材にした対話型の学習プログラムで、参加者は作品を観察し、気づいたことを自由に発言しながら、多様な視点を共有し合う。
VTSは1990年代にニューヨーク近代美術館 (MoMA) の教育部部長であったフィリップ・ヤノウィンがリードした。彼が鑑賞教育において知識偏重型の指導に疑問を抱き、学習者がアート作品を通じて批判的思考力や観察力、対話を通じた学びを深めることを目的としたプログラムだ。
ファシリテーターは参加者の意見を引き出し、深める役割を担い、特定の答えを教えるのではなく、考えを整理し、対話を通じて新たな発見や解釈を促す。

VTSでは教師 (ファシリテーター) は子供たちに対して以下のことを促す。

  1. 作品をよくみる
  2. 観察した物事について発言する
  3. 意見の根拠を示す
  4. 他の人の意見をよく聴いて考える
  5. 話し合い、さまざまな解釈の可能性について考える

この促しは、メンバー実践から得られた多様な気づきによりプロジェクトを推進するプロジェクトチームでも必要なものである。

VTSのファシリテーターは、3つの問いかけしか使わない。

3つの問いかけ

学習者の発達段階を考慮して作られた問いかけは、アート作品について話すことを促し、積極的な観察を活性化する。VTS で用いるこうした問いかけは作品に限らず、あらゆる未知の物事を検証し、論理的思考を構築するための初歩的な方法だ。

以下に示す3つの問いかけは、それぞれハウゼンの研究に基づいて導き出された。

  1. この作品の中で、どんな出来事が起きているでしょうか?
  2. 作品のどこからそう思いましたか?
  3. もっと発見はありますか?

この問いかけをプロジェクトチームに適応する最も小さな介入の方法として検討した。
「作品のどこからそう思いましたか?」が成人のプロジェクトにとって効果的だった。

2つめの「作品のどこからそう思いましたか?」は、論理的な思考を自然に促す問いかけで、これにより子どもたちは自分の解釈の根拠を作品に基づいて示すことが求められる。このフレーズで問いかけると、4~5歳の子どもでも、短期間に驚くべき論理的思考力を発揮するようになる。人は幼いうちから、「こっちは小さくて元気に走りまわっていて、あっちは大きくて寝そべってばかりいるけれど、どちらも犬なんだ」とか、「笑顔としかめつらには違う意味があるのか」など、自分の目と脳を使ってさまざまなことを判断している。そう考えれば、子どもたちが発揮するこうした力にも頷ける。

提案・発言しているメンバーに対して、「どこからそう思いましたか?」というシンプルな問いかけをすることにより、過去の事実に基づいた論理的な構造を示してもらいやすくなる。このプロセスが習慣になると、ふとした発言であっても、メンバーが納得しやすい状況を作り続けることができる。何よりメンバーがさまざまな発言をしやすくなる環境も構築されるようになる。この問いかけによりプロジェクトメンバーの多様な視点を活かしたプロジェクト推進が実現しやすくなるだろう。

本文中の全ての引用元

THE ARCHITECTURE OF INTIMACY

The quest for emotional dialogues, thus, insight.

Kitty Gia Ngân

In Journal 13, I wrote: "When we reach a state of intimacy—of truly seeing and being seen—life-expanding creativity, effective communication, harmonious collaboration, and organic care naturally arise". It’s obvious that not every human interaction would lead to intimacy (actually, most interactions don’t), as such a state takes a specific quest (or questions). Here, I borrow Circuit Lab's graph and see it through the lens of relationship in order to illustrate:

Our interactions in the modern world usually take place to achieve a goal, which is in the realm of World-building and its emphasis is on the act of cooperating.
Classrooms, for example, assign projects to students with the explicit goal to collaborate, not maintaining friendships. The latter happens by chance. Once we enter the workforce, intimacy can sometimes be seen as inefficient, thus, discouraged. Team-building activities and ice-breakers usually focus on the skills to cooperate (:achieving a goal), not deepening relationships. Intimacy-building is pushed into the sphere of private life, thus, implies that it is a private interest, not a universal yearning.
Our environmental structure, both explicit and implicit, fail to reflect our human condition. Longitudinal studies on human development, including the well-known Harvard Grant Study, consistently show that the quality of our relationships is the most important variable in determining whether we would end up happy and healthy, or miserable and sick. Our infrastructure does little to prioritize or support meaningful connections beyond flirting or maintaining a small nuclear family with a few friendships.

Quest for Emotions to Connect

To work towards a goal, we need to determine what kinds of logic we will use to make choices together. But when our interest is in creating a real bond, it requires emotional dialogues (read more in Supercommunicators by Charles Duhigg).
Interactions that are meant to build intimacy are open-ended, with the emphasis on reaching an understanding of someone and making ourselves be understood, a process known as perspective-taking.

Traditionally, effective communication was thought to depend on adept listening skills, with the listener acting as a passive but attentive receiver. However, studies show that listening is actually active. Humans naturally listen attentively when we’re in an interesting conversation, and one (main) way to get in an interesting conversation is by talking about more intimate things. In particular, our emotions.
Nicolas Epley wrote, "When we discuss our feelings, something magical happens: Other people can't help but listen to us." Asking questions that nudge people to think and talk about their feelings, values, beliefs, and experiences, and then reciprocate with our authentic answers, make people cannot help but listen to one another and expand each other’s perspective. Margaret Clark wrote, "the best listeners aren’t just listening," they prompt the other person to say something real.
I see this practice as going beyond the zombie mode.

Align to Reach Insight

TThe quest (or questions) that enables us to reach an insight in the presence of another person happens simultaneously with our feeling of being connected to them. In neuroscience, this phenomenon is called Neural Entrainment. (Read Sievers et al.’s article on conversations that foster neural alignment.)
When people’s brain activities are monitored while they engage in a dialogue, we observe that their brainwaves begin to sync. This process is sometimes referred to as aligning. Those who are most aligned have a stronger brain synchronization, they understand the other’s stories better and feel more connected to them. What’s more, their eyes dilate in tandem with the speaker, their pulses match, so are the electrical impulses along their skins, both report to feel the same emotions and start to finish each other's sentences in their minds. It’s as if they share one brain.
In other words, not just our mind but our whole body experiences empathy and connection when neural entrainment happens. "The extent of speaker-listener neural coupling predicts the success of the communication," Princeton researchers wrote.

Up-to-date, there have been many studies on brainwave synchronization, but we don't need to have an fMRI scan to know whether an interaction is in sync, because our bodies have evolved to make neural alignment feel wonderful. This finding is in agreement with what Christopher Alexander proposed.
It is revolutionary that acquiring insight happens synonymously with feeling connected. This dual process of "insight—connection" allows us to reach an ontological expansion that widens our existing realm of care, thus, improving the rules of cooperation in the World-building process.

南の島の Project Sprint

賀川こころ

第2回 チンパンジーからイルカへ

小笠原諸島を舞台としたこの連載の最初に、まずはわたしをこの南の島に押し流したものについて語りたい。

先日久しぶりに手に取った國分功一郎の『暇と退屈の倫理学』の中で、ハイデッガーによるユクスキュル批判が取り上げられていたのを改めて新鮮な思いで読んだ。生物学者であり哲学者でもあったユクスキュルの唱えた環世界論は、極めて大雑把に言うと、すべての生物は一個の主体として独自の世界 (「環世界」) を知覚し、また働きかけており、その行動はそれぞれが経験している世界における特有の意味をもってなされているというものだ。ハイデッガーは極めて人間中心的な世界観をもってこのユクスキュルの論を批判するのだが、その詳細はここでは取り上げない。

学生のころ、霊長類研究の現場を訪れたことがある。研究所では「ことばをおぼえたチンパンジー」アイをはじめとするチンパンジーたちがモニターの前に座り、表示された複数の数字を記憶したり、並べられた同一人物の顔写真のうち数度だけ視線の角度が異なるものを選んだりしていた。特に数字を記憶する実験では、チンパンジーたちは人間より格段に高い成績を記録することが分かっている。けれど、チンパンジーをコンピューターの前に座らせて問題を解かせることの価値が、わたしには最後まで腑に落ちなかった。それで測れるのは、彼らが「人間の知性」の基準において奈辺に位置するか、だ。彼らの住む世界とはまるで違う環境で、彼らの知性のありようとはまるで違う尺度で。だからこそ、彼らの世界で、彼らの真の知性を見てみたい、と思った。それがわたしたち人間の尺度で測れないものであろうとも。その世界では間違いなく、彼らの視界や地平も彼らの行動も、彼らにとっての意味に満ちている。その後ボルネオで野生のオランウータンを対象としたフィールドワークに参加して、わたしはますます野生動物に惹かれるようになった。

霊長類とはまったく無関係な文脈で社会人になってからも、わたしの個人的な興味はずっと野生動物のほうに向いていた。社会人1年目の秋、初めて訪れた小笠原で初めて野生のイルカと泳いだ。半年後の2度目の来島で、目が合った。海の中を自由に泳ぎ回る彼らの挙動も感情もまだひとつも読めなかったけれど、ここに彼らの知性があると思った。3年後、移住していた。この島でわたしは、彼らの世界に身を浸して、彼らの生活とその中での知性の煌めきを見つめていたいのだ。人間であるわたしがそこでどうしようもなく不自由で、わたしの五感が受け取るものもそれを受けて思考する様式も、否応なしに彼らとはまったく異なるものでしかないとしても。

環世界は、生物種ごとだけでなく人間同士にも存在するといえる。現在の Project Sprint が取り組んでいる「みんな化」は、個々人の環世界を基点に据え、それらを一時的に同期するために定例会議を活用しようとしている。環世界から始めなくては、わたしたちはおそらく、「プロジェクトを自分ごととして捉える」ことも「自身の個性や専門性を存分に発揮する」こともできない。

プロジェクトが、無機質で固定的な枠の中、餌で操られながら進行する知能テストのようなものではなく、無限の可能性を秘めた大海原を舞台に、イルカたちのありのままの知性や創意が溢れるようなものになるとしたら、素敵だと思いませんか。

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今月の概念

八木翔太郎

破れ

  • 破れるという動詞は、その前に一貫した「面」があったことを示唆している。その一貫性が壊されることを「破れる」と表現する。やや抽象的に考えるならば、その何かの同一性がほころぶ契機を「破れる」と呼ぶだろう。つまり「破れ」とは、秩序と非秩序 (ちょっとした障害も含む) の狭間にある動詞だ。
  • 例えば、いま自分は1つの世界を認識している (気がしている) 。仮にある日突然それが映画マトリックスのようにマシンによって見せられている仮想現実であることに気づいてしまったとしよう。これは世界が「破れ」てしまった瞬間である。もうこの私の「世界」は昨日の「世界」とは同じではない。
  • しかし、興味深いことにそれでも「世界」は自分にとって変わらず世界全体なのである。これは「初発仮説」を紹介する中で触れた認識の仕組みと似ている。世界は認識者にとって全集合的なのであり、どんなに変化したとしても「世界」であり続けることに誰も疑いを持たない。「破れ」や綻びはこうして問題化することなく、忘れ去られてしまう。
  • だが、それでも世界は日々「破られ」ている。新しい発見によって、思いもよらない視点によって、違和感の解消によって。そのことを指摘するのに「破れ」という動詞は適している。
  • これを「学び」と言ってしまいたいところだが、この動詞はいささか能動的すぎはしまいか。大澤真幸が述べるように「宇宙 (ここでいう世界の意) の外側は積極的に主題化することが不可能」だからだ。学ぶ対象を認識できている時点で、世界の同一性は学ぶ前後である程度は保たれている。一方で「破れ」るときには同一性が危ぶまれているのである。その理由は「破れ」が生じるきっかけが世界の「外側」にあるからである。
  • この概念は、誰しもが独自の世界を持っていて理解し合えないという「相対主義」と、それでもメンバーが共通認識を構成し合えるとする立場を架橋するためにも重要な概念だろう。確かに、人はそれぞれ異なる世界を認識しており同一性を保っている。このままだと世界は平行線だが、もしそれらが「破れる」としたらどうだろうか。
  • 人は互いに外側にある他者として世界を「破り」あっているのではないか。だからこそ会話は偶有性があり楽しめるのだ。そして、プロジェクトではチームとして検証/テストを通して積極的に「破る」。それによって共通認識は発達していくのである。
  • このProject Theory Probe も互いに著者が「破り合う」関係にある。Obsidianの執筆を通して互いに「破り合う」ことを原動力 (楽しみ) にしながら、共通言語を整えてきており、これからもそう進んでいくだろう。
  • このメカニズムは矛盾解消を発達の原動力とする活動システムとも近しいほか、ダナ・ハラウェイが紹介した、驚きに開かれた好奇な実践 (Curious Practice) とも整合的だろう。どちらも「破れる」ことを肯定的に捉えているのである。

Concept of the Month

Shotaro Yagi

Tearing

  • The verb tear implies a seamless "surface" existed before that. In a more abstract sense, breaking one’s identity would be called tearing (c.f. torn). In other words, tear is a verb that exists between order and disorder (including minor obstacles).
  • For example, you are perceiving a world (or so you think) right now. Let's suppose that one day you suddenly realize that the world you have been perceiving was actually a virtual reality being shown to me by a machine (like in the movie The Matrix). This is the moment when the world is torn. Your world is no longer the same world that you had yesterday.
  • However, interestingly, the world still remains the whole to you. This is similar to a phenomenon I mentioned as "initial hypothesis." The world is a total collective for the perceiver, and no one doubts that it will continue to be it no matter how much it changes. This is how tearings as incidents get forgotten without ever being foregrounded.
  • But still, the world tears itself every so often. By a new discovery, an unexpected perspective and/or through confronting contradictions. The verb tear is useful when pointing out this differential (but not small a) shift.
  • Some of you may have an urge to call this a "learning" instead. However, this verb has a connotation of active engagement. However, as the sociologist Masachi Osawa says, "it is impossible to actively subjectify things outside of the universe." When you are able to recognize the subject of your study, the subject is within your world. Then, the identity of the world would be indifferent before and after the learning. On the other hand, when you tear the world, the identity of it is at stake. Thus, the tear should, following Osawa’s statement above, be triggered from "outside" the very world.
  • The concept of tearing is useful when bridging the gap between "relativism" which holds that everyone has their respective world and cannot understand each other, and the stance that people can still form a common understanding. Indeed, if they respectively recognize different worlds and maintain their identity, those worlds would likely never come together. But what if their identities can be torn?
  • In fact, people tear each other’s world. This is because they are outsiders to each other. This is the very reason why conversations are enjoyably contingent. Moreover, in projects, we actively and collectively tear the world through testing. As a result, a common understanding is built amongst the team.
  • In Project Theory Probe, the authors also tear each other's perceptions. Through exchanging writings via Obsidian, we have developed (and still will) a common language while leveraging the driving force (fun!) of tearing.
  • This mechanism might be similar to an activity system which develops through resolving contradictions. It is also in line with the "curious practice" introduced by Donna Haraway which consists of an attitude of being open to surprises and unknowns. Both affirms the idea of tearing our world.

WHAT’S LOVE* GOT TO DO WITH NASA?

Kitty Gia Ngân

In the 1980s, NASA began developing international space stations where astronauts may need to live together in confined spaces for up to a year. Such long-term isolation, combined with the crowded environment, naturally led to significant psychological challenges, including depression and toxic patterns of communication. Thus, Terence McGuire, the psychologist behind NASA’s recruitment process, focused on selecting candidates with exceptionally high emotional intelligence (EI). He observed that while most candidates had strong cognitive abilities, only a few demonstrated the emotional sensitivity and empathy needed to identify and resolve interpersonal issues early, essential for thriving in the isolating and high-stress environment of space.

What’s interesting about this recruitment process was that McGuire intentionally provokes emotional stories from the candidates to gauge whether a participant displays comfort as well as willingness towards vulnerability: intimacy.

For example, McGuire would share personal stories, such as the death of his sister, and look for signs of reciprocal vulnerability and empathy. He would ask candidates to describe emotional moments in life and see how far they would go emotionally. He would adjust his own mood and energy levels to see whether the applicant could subconsciously match his state. We align with the other person through non-linguistic signals —like body language, tone, breathing pace, laughing style and so on— when we are truly interested in building intimacy or rapport. This is called the Matching Principle in psychology.

Note: McGuire's work was in collaboration with Taibi Kahler, a psychologist who contributed to the Transactional Analysis and Process Communication Model.

I use NASA an example to highlight the importance of emotional sensitivity in navigating complex projects, but alongside, there are 3 key related ideas I want to simultaneously convey:

1) In the Matching Principle, responsiveness reflects how much a person desires to connect, not how socially perceptive or savvy they are. The genuine desire to connect (and the ability to convey this desire) is the most important variable in building rapport. Contrary to popular portrayals of extroverted, attractive individuals as the best socializers, it's actually those who sincerely want to connect that are most likely to form meaningful relationships and be liked.

2) In consensus conversations, those who are perceived as having high social status (or dominant leaders) spoke more, but this signaled disbelief in others, and unequal turn-taking led to lower neural alignment. By contrast, those who encouraged others to speak, "gently led people, nudging them to hear one another, or to explain themselves more clearly", Charles Duhigg wrote, are given central positions in their real-world social networks, and are able to facilitate greater group neural alignment (Consensus-building conversation leads to neural alignment).

3) Asking deep questions, which nudge people to describe their feelings, beliefs, values, and meaningful experiences is a methodology for creating closeness because they spark an emotional response. Questions about everyday experience (like, How did you celebrate Christmas?) or uncontroversial opinions (e.g. What was the best gift you’ve ever received?) are unlikely to trigger much emotions. Responsiveness to emotional dialogues is a mark of self-perception, and EQ.

The 3 keys mentioned above, when applied to intimate relationships, also point to a deepening of love. Interestingly, these are the very qualities NASA sought in astronauts—qualities that are essential not just for space missions, but for navigating complex social dynamics. This case study is an example where the ability to connect intimately, to love, is crucial in successfully managing high-stakes, collaborative projects. Would it have a more universal application?

Editor's Note

菊地玄摩

スノーボードで雪山から滑り降りるとき、私たちは、全身に斜面からの力を受け止め、同時に押し返しながら進みます。少しタイミングが遅かったり、その方向がずれれば、あらぬ方向に大きな力が働いて倒れてしまいます。ふたつの力を噛み合わせる「重力遊び」です。手をつないだ相手に体重を預け、お互いに倒れないようにバランスしながら走る、といった場合も、そこに働く原理は変わらないでしょう。そのバランスが崩れて放り出されたとき、雪山と私たち、あるいは手をつないだふたりは協調することをやめ、もともとあった状態に還ります。

会議室にいる私たちはどうでしょう。この場合、雪山にいるのとは違って、そこに参加している人々が、その体重によって慣性力や重力を生じる原因であることはあまり意識されないでしょう。そのとき私たちは、会議室における呼びかけと応答にふさわしい何かとして振る舞うことを、引き受けているように見えます。会議室における、重力ではない「それ」が何なのかは、まさに Project Theory Probe が探しているもの、ということになりそうです。

私たちひとりひとりがただ質量ではないように、ただの職位でもなければ、お金でもありません。しかし質量「ではない」かといえばそうではなく、質量でもあります。私たちが質量だからこそ、雪山を相手に重力遊びに興じることができる。そして会議室の中である職位として、他の職位と「職位遊び」をしているとき、私たちは職位としてやりとりできるものの原理に従う必要があります。職位として私たちの発するももののタイミングが少し遅かったり、その方向がずれれば、あらぬ方向に大きな力が働いて望まない結果をもたらすでしょう。私たちがお金であるとき…以下同じ。

重要なことは、私たちが雪山を滑り降りる質量であるときも、質量以外であっていけない理由はない、ということです。重力を感じながら自然の雄大さについて思考してよいし、リゾートホテルにお金を落とす消費者であってよいし、誰かの家族であってよい。重力、職位、お金、友人、ほかの何であっても、私たちは同時に、それ以外のすべてであることをやめなくてよい。やめることはできないでしょう。

非言語、他者、動物など、Issue 14 ではさまざまな協調の対象と方法が登場しました。さすがに重力は出ていないようなので、Editor's Note で書いてみようと思った次第です。しかし、ついでに足すには、私たちの体重と地球がもたららす呼びかけと応答の複雑性と魅力は、あまりにも尊いものです。それはそれだけで十分に、人生を豊かにし得るものです。ですから、犬やイルカ、人間同士の協調がもたらすものがどれほど複雑で素晴らしいものであるかは、私が強調するまでもないことでしょう。

経済的な合理性をもち、ものごとのプロセスを論理的にとらえ、目標へ向けてそれらを整合させる「遊び」に、何かよい名前がないものでしょうか。それは重力がそうであるように、協調のモードであり得ます。しかしそれが私たちに先立つものであるかのように感じられた瞬間に、創造性と協調は、支配と被支配、そして強制へと反転してしまいます。重力遊びに興じていたはずの人間が、ただの落下物になってしまうのです。こう書くと滑稽かも知れませんが、歴史が thoughtlessness によって経験したこと、あるいは、暗澹たる会議室の景色を思い出せば、これは私たちにとって簡単ではないことがわかります。よい名前があれば、私たちがその危険に直面したときにはっと気づいて、Curious Practice に戻ってくることができるのではないかと思うのです。