前号はダナ・ハラウェイを通じて、本連載を「プロジェクトをシンポイエーシス的に捉える試み」と呼ぶに至った。だがオートポイエーシス (自己創生) に対して、シンポイエーシス (共創生) とは何なのか。分かるようで分からない。オート (自己) と呼ぶほどは同一性がないが、互いの存在なしには創生できないと言えるくらいにはまとまりを持つようなダイナミズム。この「まとまり」はホロビオント (holobiont) と呼ばれるが、必ずしも閉じていることを意味しない。むしろ開かれているからこそ互いに創生するという関係性が構築できるのだろう。では、この互いに創生し合うというのはどのような状態なのか。「互い」はどのように選択されて関係が取結ばれるのか。微生物の世界を例に確認してみよう。
リン・マーギュリスとドリオン・セーガンは微生物 (microbes) が互いに影響を及ぼし合いながら超個体として振る舞うまとまりを小宇宙 (microcosm) と呼んだ。小宇宙の中で微生物は確かに互いに生きる環境を提供し合って共生している。これは数々の微生物が役割を果たしている人の細胞を見ても明らかだろう。また「小」宇宙とはいえ地球規模で共生が生じていることもあり得る。例えば、水 (H2O)から水素(H)を取り出すことを可能にしたシアノバクテリアの先祖は、一方で酸素ガス (O2) を発生させて当時ほとんどがそうであった嫌気性生物を「大量虐殺 (酸素ホロコースト) 」してしまった。しかし、やがて酸素の反応性の高さを逆手に取って、シアノバクテリアは酸素を使って効率良くATPを生み出す「呼吸」という新たな機構を生み出すことにより、いまの地球のように酸素濃度が保たれるようになる。地球の歴史を紐解くと、多くの生物が生き存えることができるこの大気や環境は (微) 生物自身によって生み出されていることに気付かされるだろう。
しかし、共生と創生は異なる。互いを生かし合うのみならず、互いを「創り合う」とはどういうことだろうか。例えば、DNA は生物の発現を司っているが、これが種を超えて相互に交わるとしたら「創り合う」と形容できるだろうか。マーギュリスらは細菌的セックス (bacterial sex) が動物のそれと大きく異なることを指摘している。太古の微生物は、強力な紫外線という厳しい環境を生き延びなければならなかった。紫外線による遺伝子破壊は致命的だったため、破壊された DNA を修復する機構を生み出す必要に迫られた。修復酵素は近くの DNA 素材を用いて破壊された箇所を修復するのだが、時に自らの DNA ではない他の微生物や細菌の DNA を拝借することがあり、このとき修復後の DNA は修復前と同じではない。つまり遺伝子が組み変わっているのである。有性生殖では自己複製を通じて世代的に同種と入れ替わる遺伝子が、細菌性セックスでは自己複製と関係なく同じ個体が全く異なる DNA に組み代わる。しかも、時には80%の遺伝子が入れ替わるということもあり得るのである。このような観点から、正確には細菌の世界では「種」という概念は存在しないのだという。まさに互いを創り合う関係性だと言えるのではないだろうか。このお陰で微生物あるいは小宇宙は驚くべき柔軟性で厳しい環境への適応を成し遂げてきた。
この細菌的セックスは、奇妙なほどプロジェクトの様相と重なる部分がある。例えばプロジェクトの重要な側面を説明している活動理論 (CHAT) によれば、活動は自身の「矛盾」を解消するためにアブダクティブに新たな媒介物と関係性を取り結ぶが、それは活動システム内の既存の媒介物との軋轢を生み出して、活動システム全体の発達を促すこととなる。ここで「矛盾」を DNA 破壊、「解消」を修復、「新たな媒介物」を他の微生物の DNA、「発達」を突然変異と読み替えれば、どうだろうか。活動システムの発達が、紫外線という厳しい環境への適応として編み出され、微生物の進化の歴史を一変させた「セックス」と似ているのは非常に興味深い。確かにプロジェクトも「外」のモノを取り込んで自身を変容させ続けている。
さて今号は、シンポイエーシス (共創生) とはどういった状態なのか、その解像度を高めるべく駆け足で微生物の世界を覗いてみた。強引にまとめるならば、シンポイエーシスとは、自らの同一性を保つために他者を必要とする一方で、他者を取り込むが故に同一性が保たれないという、逆説的な個体の生き様に別の表現を与えたものなのかもしれない。ここで「共に創生する」といったときの「共に」する相手は、遺伝子破壊や矛盾を修復できるという「有用性」によって選ばれている。シンビオティックな世界とは、ある種とてもプラグマティックな世界なのかもしれない。
では微生物以外にもこのプラグマティックな世界は広がっているのだろうか。次号は、理論生物学と生物数学の創始者であり、低次 (モノ) から高次 (文化) まで通底する原理を探究したブライアン・グッドウィンからヒントを得てみたい。